平成の琉球処分

 前回の記事「首里城再建へ」で琉球処分に触れたが、「平成の琉球処分」にも触れておきたい。

 3年のことだが、宜野湾市にある普天間基地を徒歩で一周した。ハンバーガーショップに寄り道したりしたので、所要時間は定かではないが、半日がかりだったと思う。歩いているときに目にした色あせた1枚の写真。それは、当時、自民党幹事長だった石破茂さんの記者会見だった。それまで、自民党沖縄県連は、普天間基地の県外移設を掲げ、辺野古への「移設」には反対の立場を取っていた。この会見で、県連の方針転換を表明した。石破幹事長の後ろに並ばされた県選出の5人の国会議員は、うなだれていた。その場面が沖縄の人たちには「琉球処分」と映った。沖縄の友人に聞くと、「うなだれている国会議員は、まだいい。屈服させられたことに後ろめたさを感じているのだろうからね。でも、そうでない、胸を張っている人がいるでしょ。だから、県民は、『これでいい正月が迎えられる』と言って、辺野古の埋め立てを承認した仲井真元知事と彼女だけは、絶対に許せないんだよ」。ケビン・メア日本部長が「沖縄は、ゆすりの名人」と言ったことがあったが、それを裏付けるようなものだとも言う。

 尚家の末裔なのだろうか。辺野古の話になると、民族の感情があふれ出るようだ。