2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

北海道の中国人慰霊碑(3)

置戸町で中国人を使ったのは、地崎組置戸出張所と野村鉱業置戸鉱業所の二つ。 地崎置戸は、イトムカで使っていた488人のうち石家荘の収容所から連行した290人を転用しました。地崎の場合、置戸での死亡はありません。 野村鉱業置戸鉱業所では、伊藤組が416人…

北海道の中国人慰霊碑(2)

「オホーツク講座100講記念」を読んで、置戸町における中国人強制連行についてある程度わかったつもりになっていましたが、留辺蘂町の町史研究者にいただいた資料(小池喜孝氏のガリ版刷り)にあった中里墓地近くに住む我妻清という人の証言に驚愕しまし…

北海道の中国人慰霊碑(1)

置戸町の「中国・朝鮮人殉難慰霊碑」は、町の共同墓地である「中里墓地」の中央にありました。 碑誌には、 大東亜戦争中の昭和十九年(1944年)六月 野村鉱業置戸鉱山へ 中国人・朝鮮人が強制連行され 水銀採鉱に必要なダム建設などの労役に従事させられまし…

愛知における強制連行問題のとりくみ(24)

中央日報2013年10月31日がパク・ハンチョル憲法裁判所長の米国ハーバード大学での講演を紹介しています。どの程度、正確に報じているかは分かりませんが、日韓請求権協定について韓国の裁判所がどう見ているかを知る上で参考になると思い、転載します。 パク…

愛知における強制連行問題のとりくみ(23)

“韓国人の戦争被害にたいする賠償問題は、日韓請求権協定により解決済み”というのが、これまで日本政府が繰り返し主張してきたことです。日本経団連なども11月6日に「両国の経済関係を損ないかねない」とする共同声明を発表しています。 そして12月29日、日…

愛知における強制連行問題のとりくみ(22)

「愛知・大府飛行場強制連行被害者を支援する会」が岩田地崎建設との交渉を行ったのは、2013年9月12日でしたが、その直前の8月18日、新日鉄住金、韓国の戦時徴用訴訟で賠償の意向敗訴確定時「無視できぬ」というニュースが報じられました。 <朝鮮半島の日本…

愛知における強制連行問題の取り組み(21)

2013年10月10日の岩田地崎建設の「愛知・大府飛行場強制連行被害者を支援する会」にたいする回答書は次の通りです。 前略 ご回答書の送付が遅くなりましたことお詫び申し上げます。 戦中戦後の混乱期に、当時地崎組が請負った大府飛行場などの国策事業に従事…

愛知における強制連行問題の取り組み(20)

強制連行被害者の遺族が連行企業に直接、解決を要求した今回の交渉で、解決に向けた交渉のテーブルができたわけではありませんが、交渉をしたことの意義はけっして、小さくはないでしょう。全国でとりくまれた中国人強制連行事件の一連の裁判運動は、西松安…

愛知における強制連行問題の取り組み(19)

岩田地崎建設側は宋殿挙氏や劉宝辰教授及び支援する会の要求をどう受け止めたのでしょうか。 〔宋殿挙さんの「兄の死亡についての説明を。そして謝罪と補償を」という要求にたいして〕 加藤氏 「皆様の今回要求されている内容については理解致しました。宋さ…

愛知における強制連行問題の取り組み(18)

この交渉で、遺族の宋殿挙さんが岩田地崎建設に要求したことは、謝罪と補償とともに、愛知県の大府飛行場建設工事で亡くなった兄の死に関する「説明」を求めたことでした。 「私のお兄さんが御社で当時亡くなりまして、御社は何らかきちんと説明していなかっ…

愛知における強制連行問題の取り組み(17)

劉宝辰中国河北大学元教授の協力を得て大府飛行場での5人の死者の一人宋学海氏の弟、宋殿挙氏の来日が可能となり、2013年9月12日、宋殿挙氏、劉教授とともに岩田地崎建設本社(札幌市)に赴いて直接要求を伝え、交渉を行いました。中国人強制連行・強制労働北…

愛知における強制連行問題の取り組み(16)

中国人生存者5人連名の「提訴書」にたいする岩田地崎建設の回答(2012年10月1日付)は、「裁判所におきましても、当社には損害賠償の支払義務がないとの判断を受けております」として要求を拒否し、「今後は、このような内容の如何なる申し入れに対しまして…

愛知における強制連行問題の取り組み(15)

孔繁河さんの証言のつづき (南)監督の名前は覚えていますか。 (孔)まったく知らない。その当時も知らなかった。 南)北海道の現場で1 0人死ぬんですけど、石門隊も含めてですが、亡くなった人をだれか覚えていますか。 (孔)誰が死んだか教えてくれない。 (南)…

愛知における強制連行問題の取り組み(14)

【5人の証言 孔繁河さん】 訴えている5人の最後の一人、山東省聊城市在住の孔繁河氏から南守夫さん(元愛知教育大学教授)がインタビューをしています。ここでは、伊屯武華での体験の部分について転載します。 (南)伊屯武華での労働の内容を覚えていますか…

愛知における強制連行問題の取り組み(13)

王連喬さんの証言のつづき 私は、事務所の雑務をしておりました。事務所やふろ場や食堂の掃除などをしていたのです。食事を食堂から運ぶ仕事もしていました。食堂の炊事員の人たちはみな日本人だったのですが、仲良くなったりして残ったお焦げを私にもたせて…

愛知における強制連行問題のとりくみ(12)

【5人の証言 王連喬さん】 当時の生活ですか。特に食べ物ですが、食べ終わると腹が張りました。そう、ドングリの粉でした。一人当たり一日500グラムだったと言っていました。でも、本当に労働していてはとても足りるものじゃありませんでしたよ。腹いっぱい…

愛知における強制連行問題のとりくみ(11)

名古屋にいる時は警察も監督もいませんでした。二人の責任者がいただけです。私たちは一日中土を掘り、土を担いで運ぶだけで、なにも技術的な労働はありませんでした。北海道にいた時は各班30人に一人の監督と警察がいました。 日本に来る前に新しい綿の黒色…

愛知における強制連行問題の取り組み(10)

【5人の証言 唐燦さん】(要旨) 〔名古屋の飛行場で〕 住居はテントで、そのテントには30人いました。真ん中に鉄の柱が1本あり、布を上から引っ張って下で釘を打ち付けていました。下の方は1メートルの高さの所から垂直に垂れ下がっていました。ーか所に開…

愛知における強制連行問題の取り組み(9)

(楊印山さんの証言のつづき) あの頃は草鮭を履いておりまして、7日に1度草履が支給されていたのですが、でもいつも1日半で履きつぶれてしまい、残りの5日半は履くものがありませんでした。それに彼らは体を洗わせるのですが、浴槽に二人が立って入ることも…

愛知における強制連行問題の取り組み(8)

次に岩田地崎建設にたいし強制連行による被害の補償と謝罪を求めている5人の生存者の一人、楊印山さんの日本での体験を紹介しましょう。 【5人の証言 楊印山さん】(要旨) 青島で汽船に乗って、それから北海道の留辺蘂へ行きました。それから神戸に移動して…

愛知における強制連行問題の取り組み(7)

札幌高裁判決(2007年6月28日)は、この強制連行・強制労働の一連の過程を「違法であることは疑いないものと言わなければならない」と認定しました。(最高裁は原告の訴えを棄却。裁判としては原告敗訴ですが、札幌高裁が原告の訴えた事実を認定しているため、…

愛知における強制連行問題の取り組み(6)

●楊東元さん証言 その4 <平岸出張所のこと> 名古屋からまた北海道に連れていかれました。場所がどこだったかは分かりません。作業内容も生活状況も伊屯武華や置戸と同じようだったと思います。ここで終戦を迎えました。 終戦を知ったのは、シュウという通…

愛知における強制連行問題の取り組み(5)

●楊東元さん証言 その3 大府出張所 <大府出張所のこと> 置戸から次に本州に連れていかれました。名古屋に近い作業場でしたが、地名は覚えていません。名古屋に行ったという記憶です。 ここでは寝るところは建物ではなく、テントのようなところでした。モ…

愛知における強制連行問題の取り組み(4)

●楊東元さん証言 その2 置戸出張所 <置戸出張所のこと> 伊屯武華での作業の後、私たちは置戸というところに移動になりました。移動したとき、日本人の監督であるオオシマとキクチという人も一緒に移動したと思います。 置戸では、私たちの班の宿舎は古い…

愛知における強制連行問題の取り組み(3)

【5人の証言 楊東元さん】 ●伊屯武華出張所 地崎組のもとで強制労働をさせられた伊屯武華の中国人496人のうち、楊東元さん(日本での名前は楊東雲さん)と王洪書さんは、中国人強制連行・強制労働北海道訴訟に参加しています。二人が日本の法廷に立つ機会は…

愛知における強制連行問題の取り組み(2)

「提訴書」とは聞きなれない言葉です。「提訴」という言葉は、日本では訴訟を起こすことを指しますが、5人の中国人生存者が強制連行企業に送った文書は、裁判を前提にしたものではありません。あくまで企業との直接交渉で和解を目指そうとするものです。中国…

愛知における強制連行問題の取り組み(1)

愛知における中国人強制連行問題の解決に向けた取り組みは、強制連行をおこなった企業・岩田地崎建設(当時・地崎組)に直接訴えかけたという意味では、2012年9月18日に始まりました。 旧地崎組(現・岩田地崎建設)は北海道の土建業者ですが、外務省管理局…