2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(14)

『西松安野友好基金和解事業報告書』には、会計報告もされている。中国国内で基金運営を疑問視した人が会計報告を公開するよう求めたが拒否されたと主張した報道がなされたことがあった。そのことは、これでクリアされたのであろう。 第1回の補償金は、継承…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(13)

調査では、名簿に記載された360人のうち271人の本人もしくは遺族の消息が明らかになった。被害者の半数さえ明らかにすることは困難とみられていただけに、75%もの被害者と遺族が明らかになったのは、大きな成果というべきであろう。強制連行の真実に迫った…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(12)

調査員の一人、蘇秀芬(そ・しゅうふん)さんは、『西松安野友好基金和解事業報告書』に次のように書いている。 ――2011年5月、私は広島を訪問する活動に参加し、心を動かされた。日中の多くのボランティアが、第2次世界大戦期の労工及び遺族の正義を取り戻…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(11)

(右から)劉元教授の話を聞く張振侖さんと紀念館職員の安さん。左端は通訳の史艶玲副教授=天津殉難烈士紀念館で 邵義誠さんの娘婿の張振侖さんは、家族として義父の日本での裁判闘争を支えてきた。2009年10月に被害者救済のための西松安野友好基金ができて…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(10)

西松建設はこの最高裁の付言に従って、2009年10月に安野の被害者と和解した。もう一つの日本国内での中国人を使役した信濃川事業所でも2010年4月に和解した。 邵義誠さんが中国に帰国したとき、母は亡くなっていた。父も43年に行方不明になったまま。そして…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(9)

こうした詳細な強制連行・強制労働の事実認定をしながらも原告敗訴の判断となったのは、中国人の請求権問題であった。 判決は、中国人の請求権に関する議論のまとめで次のように結論づけている。 「本訴請求は,日中戦争の遂行中に生じた中国人労働者の強制…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(8)

・終戦後の昭和20年8月24日,上告人は,政府機関から安野発電所事業場における中国人労働者の稼働停止の指示を受け,その稼働を停止させた。その後,中国人労働者らは,連合国軍の指示により中国に送還されることとなり,同年11月24日上記事業場か…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(7)

ここで、最高裁の判決をみておこう。 最高裁判決は、まず、「強制連行及び強制労働の実情に関し,原審の適法に確定した事実関係の概要」として次のように認定している。 ・上告人(本件当時の商号はY’)は,中国大陸に進出する日本軍の軍事行動に追随し,鉄…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(6)

邵義誠(しょう・ぎせい)さんは、企業との長い話し合いの末に和解したことを、「賠償金が少ないという声もあったが、日本が謝罪の姿勢を示したことを評価した」と話す。しかし、「長年つかえていたものが取れた感じだが、うれしいというほどではない」とも…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(5)

「大変だったのは、作業時、冷たい水の中から石を取ったことだ」と言う。その石は、堰堤を築くのにも使われた。川底はすべりやすく、作業中に邵さん転んで足をけがした。けがが直接の原因というより、その後の治療の不十分さによって重い皮膚病を患ったとい…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(4)

邵義誠さんは、日本に連行されるいきさつを次のように語った。 「当時、天津でたばこを売って生計をたてていた。仕入れのため青島に行き、大港駅前の通りを歩いていたとき捕まり、旅館の裏の平屋に閉じ込められた。拷問を受けることはなかったが、所持金700…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(3)

中国人が働いた現場では、日本人監督の下で日本人や朝鮮人の現場監督が中国人を使った。朝鮮人は、削岩機で岩盤に穴を開ける、穴にダイナマイトを詰める、電気ドリルで壁面を平らにする、坑木を組むなどの技術や経験がいる仕事をした。中国人は、主に発破で…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(3)

中国人が働いた現場では、日本人監督の下で日本人や朝鮮人の現場監督が中国人を使った。朝鮮人は、削岩機で岩盤に穴を開ける、穴にダイナマイトを詰める、電気ドリルで壁面を平らにする、坑木を組むなどの技術や経験がいる仕事をした。中国人は、主に発破で…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(2)

邵さんが建設に携わった中国電力安野発電所は、広島市から北西に約40km、太田川をさかのぼった山間部にある。工事を請け負ったのが西松組(現・西松建設)で、1944年5月に着工し、46年末に完成した 『西松安野友好基金和解事業報告書』によれば、西松組は厚生…

西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(1)

昨年秋、天津市在住の邵義誠(しょう・ぎせい)さん宅を河北大学元教授の劉宝辰氏といっしょに訪問した。邵さんは、広島・安野(やすの)の生存者で、現在、89歳。たいへんお元気で、補聴器を使う必要もなしにインタビューに応じられた。中国から中国人を強…