2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

留辺蘂に到着した日に中国人2名死亡

道東の北見市留辺蘂。ここにはかつて東洋一の水銀鉱山・イトムカ鉱山がありました。 1944年、鉱山労働者用の社宅を建設するための地ならしや水銀の残滓を取り除いた水を川に流すための水銀沈殿池の造成のために中国河北省と山東省から490人を連行して…

大府に連行された中国人生存者は何人の遺骨を祖国に持ち帰ったのだろう(3)

慰霊祭の写真が撮影された時期についてですが、地崎組伊屯武華・置戸・大府・平岸出張所「華人就労顛末報告書」に添付された他の写真・集合写真と同じ時に撮影されているとすれば、集合写真の背後に、双十節の飾り門が写っていますので、10月10日前後に撮影…

大府に連行された中国人生存者は何人の遺骨を祖国に持ち帰ったのだろう(2)

「慰霊祭の写真」は、おそらく地崎組伊屯武華・置戸・大府・平岸出張所の「華人就労顛末報告書」に添付された写真12枚のうちの3枚ではないでしょうか。1枚は、中国隊の隊舎の前か、地崎組の事務所の前に祭壇が設けられ、数百人が追悼をしている写真です。…

大府に連行された中国人生存者は何人の遺骨を祖国に持ち帰ったのだろう(1)

『資料 中国人強制連行』に「中国人強制連行事件に関する報告書 第一篇 中国人殉難者名簿」が収載されています。中国人殉難者名簿共同作成実行委員会が作成したものですが、これを見ていて疑問がでてきました。 地崎組伊屯武華出張所の死亡者名簿について、…