2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「赤平合衆国」といわれるほど多かった捕虜と強制連行(4)

Ⅲ 炭鉱の物語『ズリ山』に描かれた中国人強制連行 赤平で小学校教師をしていた若林勝氏は、教え子の父母から聞いた話をもとに『ズリ山』を書いたと「あとがき」に書いています。「ただ残念なことに、それをうらづけるはっきりした資料がなく、そのため『あか…

「赤平合衆国」といわれるほど多かった捕虜と強制連行(3)

強制労働で亡くなった中国人・朝鮮人を供養した赤平市宝性寺のお庫裏さんは、「あかびらふるさと文庫」で次のように語っています。 ◎宝性寺とともに七十余年 この目で見てきた出来事(美園町 黒川カヲリ) タコ労働者が線路の下に埋められたとかの話もあるよ…

「赤平合衆国」といわれるほど多かった捕虜と強制連行(2)

Ⅱ 『あかびらふるさと文庫』 およそ5000人にも上る米英の捕虜、強制連行の中国人と朝鮮人による強制労働というのは、ちょっと他の自治体にはみられないのではないでしょうか。福岡にはあるかもしませんが。ともかく、強制連行被害者となんらかのかかわりをも…

「赤平合衆国」といわれるほど多かった捕虜と強制連行(1)

Ⅰ 赤平市における戦中の朝鮮人・中国人労働者数 北海道赤平市は道内1、2を争う炭鉱の町で、大きな炭鉱としては、赤間、茂尻、住友、豊里の四つがありました。1944年から45年にかけて、日本人労働者の大半が徴兵され、その労働不足を補うために朝鮮人・中国…

水銀鉱山の強制労働(2)

イトムカ・置戸で注目したいのは、オホーツク民衆史講座の人たちによる中国人強制連行の発掘です。『オホーツク民衆史講座100講記念』にまとめられていますが、この歴史発掘は、多数の町民をまきこんだ置戸町の中国人・朝鮮人殉難慰霊碑建立に発展していった…

水銀鉱山の強制労働(1)

北海道北見市の留辺蘂町イトムカと、その隣の置戸町には、豊富な埋蔵量を誇る水銀鉱山がありました。戦争中、水銀は兵器の部品などさまざまな用途に使われました。徴兵で不足した労働力は、朝鮮人や中国人の労働力によって補われました。この問題を「オホー…

地崎伊屯武華事業所に連行された中国人(7)

武万華も張兆林と同じように、中国人たちの「反抗」について語っています。 労工たちは腹いっぱい食べることができず、歩く気力すらなかった。労工たちは監視の目を盗んで仕事の手を抜き反抗した。監視が見ている時は働くが、背を向けたら休んだ。一つの木の…

地崎伊屯武華事業所に連行された中国人(6)

武万華の証言を続けます。 毎朝、旗を掲揚してから作業場に連れていかれた。日本の警察が銃を持って監視していた。仕事は樹木を伐採して山を切り拓くことや、朝鮮人労働者が大木を伐採した後に枝を鋸で切ることや、木の根を掘り起こしたり、現場を片づけるこ…

地崎伊屯武華事業所に連行された中国人(5)

もう一人、地崎伊屯武華事業所に連行された武万華という河北省無報県(石家荘市の1県)の農村の出身者の証言をとりあげましょう。(出典は、『日軍槍刺下的中国労工 石家荘集中営』) 武万華は、河北省無報県(石家荘市の1県)の農村です。父親は漢方医で…

地崎伊屯武華事業所に連行された中国人(4 )

誇り高き民族が、牛馬以下に扱われたらどうすると思いますか。いつまでも従順であるとは考えにくいですよね。張兆林氏は、逃亡事件が起きたと語っています。 このような状況下、わたしと同じ県の出身である郭書臣ら3人は、虐待に耐えきれず、倉庫からこっそ…

地崎伊屯武華事業所に連行された中国人(3)

張兆林証言の紹介を続けます。 仕事始めにあたって駆け足、訓話、掲揚、唱歌があった。訓話の内容は、東亜新秩序の建設、中日親善、東亜の永久和平の保持だった。歌詞は、「旭日旗があがり、光ぼうと輝き、揚子江のほとりに金竜が翻る。月は明るく照らしいく…

地崎伊屯武華事業所に連行された中国人(2)

イトムカでの食事については、 張兆林さんは次のように話しています。 食べものは1日に1斤をこえることはなく、主食はアワ、エンドウ、トウモロコシを混ぜた麺で、ドングリの粉が使われることもあった。 食べるときは班の30人がいっしょで、順番に食べた。…

地崎伊屯武華事業所に連行された中国人(1)

地崎組のイトムカ事業所に連行された張兆林さんは、苦難の日々をどのように語っているでしょうか。 河北省寧晋県周家荘郷東魏家荘村の張兆林さんは、1942年に革命運動に参加し、偵通隊の隊員として、日本軍の兵力の増減と活動状況をさぐり、情報収集をおこな…

敗訴確定時には賠償という新日鉄住金の判断に注目

戦後補償問題で注目すべきニュースが流れていますので、「共同」と産経を引用します。世界に事業展開をする企業としては、韓国の最高裁の判決には従うという、現実的判断だと思います。賠償請求権問題は日韓請求権協定で解決ずみとする日本政府の論拠はすで…

イトムカ探訪(12)

山本伊勢雄氏の話を続けましょう。 とりあえず汚泥の流失が止ったら、この一号斜樋の下部をコンクリートで固め、永久に使用せず、ダムの溢流はすべて第二、第三斜樋を使用する事にし、これが完成するまでは選鉱場の操業を停止する事。そして御迷惑をかけた下…

イトムカ探訪(11)

野村鉱業社史には、イトムカで被連行中国人を働かせたことはまったく記述されていませんが、中国人を使った証拠のひとつが、「56号ダム」と呼ばれる水銀沈殿池です。この沈殿池は、地崎組が工事を請け負い(1944年4月から11月)、中国人488人(うち292人は途…

イトムカ探訪(10)

野村鉱業に務めていた高木良治氏が、故梅沢所長を追悼して、「所長の歯は水銀のガス中毒でやられた」という秘話を語っています。 梅沢さんは総入れ歯です。なぜかというと、やま(鉱山)は戦前から戦争に負けるまで鉱山の中で仕事をしていたのは、朝鮮人、中国…

イトムカ探訪(9)

『思い出のイトムカ』というイトムカ鉱山閉山40周年記念文集には、イトムカ鉱山で働いた北村元伸氏の回想が掲載されています。 イトムカ鉱山ならではの保安対策は何と云っても、汞毒症対策である。そのため、自然通気でなく、炭鉱同様に大型扇風機によるとこ…

イトムカ探訪(8)

水銀が引き起こす職業病については北海道労働基準局も企業も重大な問題という認識は持っていたようです。1950年10月30日発行の北海道労働基準局編『第一回北海道衛生管理者大会研究発表録』には、野村鉱業株式会社イトムカ鉱山衛生管理者の十三可雄氏の報告…

イトムカ探訪(7)

北見市は、北見工業大学の協力をえて、イトムカの流域における水銀汚染の調査をおこない、調査結果もふまえて、「北見市環境白書(平成20年版)」を作成しています。大気環境、水環境、騒音・振動、悪臭、水銀調査、その他と全般にわたるものですが、水銀調…

イトムカ探訪(6)

北海道大学の吉田邦彦教授は、「『北海道の掘り起こし運動』と民法学研究」でイトムカの水銀汚染について、 戦中外国人労働者に多くの「ヨロケ」被害を出したイトムカの水銀中毒は、戦後も継続したし(日本人労働者は、企業城下町の被害隠蔽性ゆえに、泣き寝…

イトムカ探訪(5)

野村興産HPは、つぎのように自己紹介しています。 北海道大雪山系にある総面積1,489,431m2のイトムカ鉱業所は、かつて東洋一の水銀鉱山と呼ばれ、世界的にも珍しい自然水銀が産出する鉱山(他の水銀鉱山では硫化物である辰砂が多い)で、最盛期年間200トンの…

三井三池殉難碑

福岡市南区の大橋法律事務所のHPに、三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑の文面が紹介されていました。各紙探しましたが、碑文を紹介した記事は見当たらず、ようやくたどりつきました。 http://blog.ohashilo.jp/article/71934744.html には、中国人強制連…

イトムカ探訪(4)

(「選鉱場」の上部から見下ろしたイトムカ工場の写真を当初、掲載しましたが、ブログの容量制限のため、削除しました。ごめんなさい)

「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑」の除幕式

8月4日、福岡県大牟田市の宮浦石炭記念公園内に建立された「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑」の除幕式が行われました。強制連行被害者も含む約100人が参列したと8月6日付「しんぶん赤旗」が伝えました。 記事によれば、三井三池炭鉱には太平洋…

イトムカ探訪(3)

古い時期のイトムカの写真を掲載しましたが、容量制限のため、削除しました。

イトムカ探訪(2)

知人は、2種類の地形図を用意していました。新しい地形図には、選鉱場への道は描かれておらず、古い方の地形図には破線が描かれていました。 つまり、古い時期に作成されたときにはまだ「廃道」と表示されるくらいには痕跡がはっきりあったが、新しく作成さ…

イトムカ探訪(1)

北海道留辺蘂(るべしべ)のイトムカ鉱山のガイドとして役立つのは、堀淳一さんの『北海道 産業遺跡の旅』。この本には、国土地理院発行の地形図「石北峠」が載っています。私は、旭川からこの層雲峡を通って石北峠を目指しました。石北峠を越えると、国道59…

「置戸町史」に見る中国人強制連行(9)

趙宗仁さん以外の13人の労働内容を札幌高裁判決文で見ると、 ▽控訴人任有福は, 同年5月31日, 野村鉱業の置戸鉱業所に送られ,同鉱業所において土砂運搬作業等に従事した。 ▽控訴人張徳山は, 同年5 月31日, 野村鉱業の置戸鉱業所に送られたが, 同鉱業所…

「置戸町史」に見る中国人強制連行(8)

判決文だけでは、趙宗仁さんの強制連行・強制労働被害の断片しか分からないように思いますので、補足するためにしんぶん赤旗の本吉真希記者のインタビュー記事を挙げます。 ◎2008年8月15日付「しんぶん赤旗」 日本軍に協力していた村の役人がいいました。「…