2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「置戸町史」に見る中国人強制連行(6)

『置戸町史』で興味深いのが、北見中学の「勤労日誌」と、元野村の職員であった鈴木利身さん手記です。 「勤労日誌」の昭和一九年一一月一〇日と一一日の分が紹介されています。 昭和一九年一一月一〇日 目標/規律ノ厳守 作業/入山式及び工場見学 総員/五六…

「置戸町史」に見る中国人強制連行(5)

『草の墓標』に掲載された付表では、地崎組置戸の転入者二九〇人、伊藤組の連行者四九九人、死亡者一〇四人、野村鉱業連行者一九五人、転入者二九七人、死亡者二四人です。 「移入状況」を、『中国人強制連行資料』で整理すると、 [伊藤置戸] 契約数500 乗船…

「置戸町史」に見る中国人強制連行(4)

「置戸町史」があげた三つ目の中国人強制連行の人数は、 ③「昭和二〇年四月調査の長官事務引継書の移入労務状況一覧表」及び昭和二一年三月調査の「事業場別中国人強制連行並死亡状況表」――です。 置戸町史は、資料として「新北海道史」をあげ、二つの表を掲…

「置戸町史」に見る中国人強制連行(3)

置戸町史は、同町に連行されてきた中国人の人数について、三つのデータをあげています。 ①北光水銀鉱には、同一九年から二〇年にかけて中国軍俘虜約一〇〇〇人と、民間中国人(華人と称していた)が一九五人、韓国人約一二〇人が送られてきた。(出典は示さ…

「置戸町史」に見る中国人強制連行(2)

「置戸町史」には、中国人、朝鮮人の寮があった場所を記した地図が掲載されています。中国人の寮は、三つあり、野村鉱業が「第1華人寮」で、下請けの伊藤組、地崎組がそれぞれ「第2華人寮」「第3華人寮」です。

「置戸町史」に見る中国人強制連行(1)

戦前、水銀は艦船の塗装や魚雷の起爆装置に不可欠で、国を挙げての大増産が進められました。野村鉱業(現・野村興産)は1941年に同町に技術陣を調査に送り、同年6月に契約し、採鉱を開始しました。水銀採掘が置戸町でどのようにすすめられたか、『置戸町史』…

オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(9)

1976年11月1日付「オホーツク民衆史講座ニュース」特集号が中国人・朝鮮人殉難慰霊碑建立と慰霊祭・シンポジウムの様子を伝えています。 1976年7月11日、北海道網走支庁管内置戸町に、地元住民の手で、中国人・朝鮮人殉難慰霊碑が建てられました。強制連行…

オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(8)

弦巻宏史氏の報告を続けます。 (2) 住民が建てた不戦の碑 私がイトムカ水銀鉱山の朝鮮人強制連行労働に関して、地域住民の聞き取りを行ったのは一九七四(昭和四九)年である。 住民が鉱山の逃亡者をかくまいながら、それを隣人にも黙して語らなかったの…

オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(7)

民衆史講座の1人で小学校教員である弦巻宏史氏は、河南省の農民・張冠三氏との出会いと証言について報告しています。(『民衆史運動 その歴史と理論』の「強制連行された中国人、朝鮮人との連帯」) (1)民族連帯の送別会 去る三月二八日(一九七八年)夜、…

オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(6)

(ホ)イトム力の下請労働者 地崎組で. 土木関係を中心に行なった。労働者は日本人タコと朝鮮人タコがいた。土屋組は、主に採鉱に当っていたが、日本人タコが中心のようであった。 朝鮮人の下請としては高橋組(高橋由蔵)があり、操業当時から終戦まで色々な…

オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(5)

九七講「イトムカの朝鮮人・中国人」で配られた小池喜孝氏作成の資料(続)です。 (ニ)花岡よりひどいイ卜ムカ(山田昭次氏提供) 華人取扱に関し内務省官吏が花岡鉱山及鹿島組に対する指示事項 中略 昭和十九年七月十二日、内務省、厚生省、昭和十九年七月…

オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(4)

九七講「イトムカの朝鮮人・中国人」で配られた小池喜孝氏作成の資料です。 (イ)朝鮮人の強制連行は(野村鉱業のみ) 官斡旋 昭和十七~十九……七四〇人 徴用 昭和十九~二十…… 二二五人 転用 昭和十六……… 五五人 計一〇二〇人 (ロ)地崎組・土屋組が連行し…

オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(3)

九七講「イトムカの朝鮮人・中国人」の続きです。 (イ) イトムカ鉱山現地調査 すでに大雪の山並みは雪化粧。イトムカは高い所なので自動車のタイヤをスパイクにはきかえた。四十数名の参加。先に証言された生き埋めの現場への途中で、逃亡してきた朝鮮人を助…

オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(2)

「100講記念」の第4章は「朝鮮人・中国人の受難の歴史を掘る」で、64講、65講、94講、97講および第2回道民衆史講座から編集しています。このうち「イトムカの朝鮮人・中国人労働」という報告を紹介します。 イトムカの朝鮮人・中国人労働 (九七講「イトム…

オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(1)

『オホーツク民衆史講座100講記念』という書籍を入手しました。表紙に使われている写真は、網走管内留辺蘂町金華の「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」に手を合わせている林隆弘尼です。 網走・旭川間の鉄道トンネル付近から発掘された50体以上の人骨――囚人に…

考察のまとめ2 日本軍の捕虜収容所について考察したこと

日本軍は、中国侵略を開始したときから捕虜収容所をつくった。ところが、それは、単に戦闘で捕虜になった者を収容する施設ではなかった。軍関連の工事に使役し、さらには日本が接収した炭鉱などにも動員し、さらには日本へも送り出した。 今回、捕虜収容所の…

考察のまとめ その1

昨日のブログをもって中国での強制連行に関する考察は区切り、これからは日本での強制連行を考察します。 「強制連行は死のロードだった」(2013年5月17日~5月22日)で見てきたことは、次のようなことでした。 地崎組上砂川の諸文書綴の「第1中隊入山後…

青島档案館の強制連行関連資料(13)

青島档案館では、在青島総領事・喜多長雄々が青島市政府に出した太平山軍事工事への労工供出の要請文書も入手しました。1944年10月14日付でだされたもので、10月15日から12月末まで200名を供出せよという内容です。 この供出よりも前、1941年から43年にかけ…

青島档案館の強制連行関連資料(12)

弁護士 暴動は? 張 第1では四回、第2でも一回、資料が残っている。もっとていねいに調べれば、回数は多くなるかもしれない。 弁護士 原因は。 張 自ら好んでここにきた人はありません。強制的につれてこられた。日本に送られたらたまらない、寒く、まとも…

青島档案館の強制連行関連資料(11)

弁護士 第2労工訓練所について説明を。 張 1933年に造られた建物(体育場)を訓練所にあてた。この建物は2001年に取り壊された。 弁護士 体育館の地下室に収容されていた? 張 そうだ。 弁護士 コンクリートがむき出しのようだが、衛生状態は? 張 夏はとて…

青島档案館の強制連行関連資料(10)

東京高裁での一問一答はつづきます。 弁護士 第1労工訓練所はどのような施設だったのか。 張 もともと大きな倉庫があった所で、労働力を集める満州労工協会の事務所をひきついだ。1944年につくりかえられた。高さ3㍍の塀をつくり、電気鉄条網を張った。90…

青島档案館の強制連行関連資料(9)

この章のはじめの方で紹介した張樹楓さんは、2006年7月に東京高裁で中国の研究者として証言にたちました(新潟訴訟控訴審)。その証言をかいつまんで紹介します。 ――張さんは、雑誌を手に証言を始めました。 張さん この雑誌は、青島市档案館が出している研…

青島档案館の強制連行関連資料(8)

陸軍北支派遣軍「桐」旅団の通信隊に所属していた元兵士から、同じころに起きた「暴動」について伺ったことがあります。 ―1944年12月、休みに町に出たとき、1000人ぐらいの行列に出会った。「報国隊」の旗を先頭にぞろぞろ歩いていた。この中国人たちは競馬…

青島档案館の強制連行関連資料(7)

1945年1月25日に第2労工訓練所で暴動が起きた際には、日本軍も出動しました。 青島特別市警官局局長は、青島市長に次のように報告しています。 <匯泉体育場内に居住する労工協会の労工280数名が、今月16日午後8時50分に暴動を起こした。南分局長は警官およ…

青島档案館の強制連行関連資料(6)

華工赴日事務所所長が市長に提出した「8月18日から25日の第6埠頭で働く労工の逃亡状況」「8月上旬から9月中旬の労工の逃亡状況」を見ると、毎日といっていいくらい逃亡事件が起きています。 <8月18日逃走3名、19日27名、20日4名、22日51名、23日72名、2…

青島档案館の強制連行関連資料(5)

華北労工協会と華工赴日事務所の関係はどうなっていたのでしょう。 華北労工協会の青島事務所は、1941年11月に作られました。所長は、青島市長(初めは趙琪、後に姚作宾)が兼任しました。実際の権限は日本人の主任が握っていました。 事務所には業務科、総…

青島档案館の強制連行関連資料(4)

ところで、青島市「華工赴日事務所」とはどういうことをする事務所なのでしょうか。 『鉄蹄下的罪悪』は、華工赴日事務所は、1944年7月日本軍に協力する青島特別市政府が設立した機関で、青島郊外の諸県から労工を騙して集め、日本に送り出す実務を担当した…

青島档案館の強制連行関連資料(3)

この選ばれた100名は、日本のどこの事業場に連行されたのでしょうか。三菱大夕張の名簿に34人の名前が載っていました。 胡正盛 25 青島市 → 三菱大夕張37番 即墨県 方明節 26 劳山 → 三菱大夕張41番 即墨県 解同春 25 章丘 → 三菱大夕張58番 章丘 王洪…

青島档案館の強制連行関連資料(2)

周研究員に名簿のコピーを頂きました。 「華工赴日事務所赴日華工姓名表」という表題がついていますので、「華工赴日事務所」作成の名簿だということは分かります(欄外には番号が書かれています。档案館がつけた整理番号で「B23-1-2804」)。 『鉄蹄下的罪悪…

青島档案館の強制連行関連資料(1)

青島の労工訓練所について調べるには、青島档案館を訪ねるのがいいと思います。 私は、青島社会科学院研究員の張樹楓さんにお願いして利用の便宜を図っていただきました。 档案館は、公文書館に近いといわれています。歴史資料、行政資料、その他さまざまな…