自民党沖縄県連が辺野古容認 安倍政権と一体となって県民世論に挑戦

 自民党沖縄県連の大会が昨日(2017年4月8日)那覇市内で開かれた。多くのメディアが、普天間基地の移設先について「辺野古を含めたあらゆる選択肢を排除しない」としていた方針を転換し、「辺野古容認」とした点に焦点をあてて報道したが、それは当然であろう。

 ここで少し詳しく県連の辺野古新基地建設をめぐる方針の変遷を見ておきたい。
 2009年の衆院選で「最低でも県外」を掲げた民主党が大勝し、自民県連は全敗。これ以降、自民県連は選挙では県外移設を公約に掲げた。2013年11月25日に沖縄県選出の5人の国会議員自民党本部に呼び出され、県外移設を取り下げさせられた。同日、石破茂幹事長(当時)は、県選出国会議員との会合に関する記者会見を行った。
 「先程9時から、私と沖縄県選出自民党の5名の衆参両院議員の皆さん方との会合を開かせていただいた。結果、普天間基地の危険性を一日も早く除去するために、辺野古移設を含むあらゆる可能性を排除しないということで一致をいたしました。私どもとして、これを受けて、普天間基地の危険性の一日も早い除去のために、沖縄の国会議員とさらに連携を密にしながら、このことの実現のために全力を尽くしてまいります」
 石破氏の横には、5人の国会議員が座った。このときの写真が、明治政府から琉球に派遣された松田道之処分官が警官、軍隊を引き連れて首里城の明け渡しを求めたときの図と重なって見えるとして、「平成の琉球処分」と呼ばれた。

 

 では、今回の県連大会の方針転換は、何によって起こったのだろう。
 <名護市辺野古への普天間飛行場代替施設移設に関して、平成28年12月20日、国が提起した不作為「違法確認訴訟」で、最高裁判所は、国の主張を認め県の敗訴を言い渡した。判決内容は、平成27年10月13日に翁長雄志知事がなした「辺野古沿岸埋め立て承認取消し処分」は違法とされるなど、県の主張を悉く退ける県にとって厳しい結果となった。この結果を受け、翁長知事は、自らがなした「取消処分を取消した」。これにより、平成25年12月27日に仲井真弘多前知事がなした埋め立て承認処分の合法性が確定した。>
 県連は、この最高裁判決がでたことにより普天間問題は新たな段階に入ったが、翁長知事はいまだに「知事権限などあらゆる手法を行使して辺野古移設を阻止すると発言」しているが、普天間の固定化につながると批判。「辺野古代替施設への移設以外に現実的な方策が見いだせない」と方針転換を打ち出した。
 つまるところ、最高裁判決に従って国は辺野古の工事をどんどん進めるから、国に抵抗をすることをやめるべきだという理屈であろう。そして、行動方針として「最高裁判所の判決に従い裁判所の和解勧告の順守を翁長県政に求めるため、県議会における追求や広報街宣等を駆使して全力で取り組みます。」とうたった。
 この行動方針は、2月議会ですでに自民党県議団が代表質問や一般質問でおこなってきたことの確認である。この立場で今後も翁長県政を徹底追及し、翁長知事に国へ服従するよう求めるということを確認したということができよう。


 自民党県連は、衆院小選挙区でも参院選でも全敗しているが、辺野古容認によって失地回復の足がかりをつかめるのか、ますます混迷を深めるのか。そのあたりを彼ら自身どうみているだろう。自民党大会の文書の次の点に注目したい。
 ① 第12回県議会議員選挙は6月5日に行われ、13選挙区に71人が立候補した。自民党は党公認19人、推薦1人の計20人が立候補した。選挙結果は、自民党は、公認・推薦を含め、公認14人(名護市は無投票当選)、推薦1人の15人が当選した。改選時13名から1名増となっているが、前回(第11回)県議選における自民党の当選者は15人であり、厳密には今回は1名減となった。沖縄の政治・経済の先導的役割を担ってきたのは自民党であり、政党としての責任を果たしていくためには、県政において最大・多数の議席を獲得する必要がある。そのため、現下の自民党にとって厳しい政治情勢にあって、中頭郡区、沖縄市区、宜野湾市区、那覇市区の4選挙区で公認候補を増やし全員当選を目指した。しかし、選挙戦さ中、米軍属による(殺人)・死体遺棄事件が発生し、さらに投票日当日に米兵による飲酒運転人身事故が起きたことなど、選挙期間中連日報道され、米軍事件イコール基地容認自民党とのイメージが定着し、明らかに有権者の投票判断に影響し自民党に逆風となった。
 ② 昨年は、県議会議員選挙で、現有議席を上回ったが、当選者15名(推薦含む)と当初目標に届かず、参議院議員選挙は、オール沖縄候補に大敗した。依然県内政情は、自民党に逆風であり、党勢拡大・党員獲得運動は厳しい状況にある。翁長知事が掲げる辺野古移設阻止に対し、原点である普天間飛行場の危険性の除去・早期返還の実現と言う県連の主張が県民に浸透し得なかったのが最大の要因である。
 ③ これまで、県連は翁長県政・オール沖縄側の国内外への反辺野古移設キャンペーンやマスメディアへの取り組みなど巧みな情報発信戦略に対し、迅速・的確な対応が出来ず、県民の支持を失ってきた。
 「米軍事件=基地容認自民党のイメージ定着」「依然自民党に逆風。県連の主張が県民に浸透しなかった」、さらに「国内外への反辺野古移設キャンペーンに対応できなかった」と総括している。最後の点についていえば、自民党県議らは、あらゆる機会に知事の訪米活動は成果がなかったと繰り返し、今年度予算からの削除さえ要求してきた。それは、訪米活動にたいする県民の期待と支持をおそれ、なにがなんでも断ち切りたかったことがみてとれよう。
 大会後、自民党県議らは「苦渋に近いものがある」「翁長知事の全盛期は過ぎ、さがりつつある」-こんなことを言っていたという。つまり、容易なことではないが、最高裁判決が出て、翁長知事の求心力に陰りが見え始めており、今こそ反転攻勢に転じるべし。その旗幟を鮮明にするため、辺野古容認だ―来年11月の知事選戦略を見据えた決断であろう。「来るうるま市長選挙、那覇市議選を勝利し、来年に予定される、名護市長選挙を始め首長選挙、最大の戦いとなる県知事選挙に向け、万全の体制を構築しなければならない」と檄を飛ばしている。安倍政権とまさに一体となって県民世論に挑戦する姿が鮮明になった大会である。