2013-12-01から1ヶ月間の記事一覧

中国人強制連行問題解決への新たな展開(3)

中国人強制連行問題 新たな展開 下 世界は人道優先 森田太三弁護士に聞く 2013年12月26日付しんぶん赤旗 ―太平洋戦争時代に徴用された韓国人が日本の企業にたいする損害賠償を請求した裁判で、ソウル高裁や釜山高裁などが相次いで賠償命令を出しました。これ…

中国人強制連行問題解決への新たな展開(2)

(しんぶん赤旗2013年12月25日付) 中国人強制連行問題 新たな展開<中> 愛知・大府飛行場 愛知・大府飛行場 兄の死、説明求める 「愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」は2012年9月、第2次世界大戦末期に中国人496人を強制連行し…

中国人強制連行問題解決への新たな展開(1)

「しんぶん赤旗」が「中国人強制連行問題 新たな展開」と題する連載を本日(2013年12月24日)から始めました。裁判終結後、国・企業との和解を目指す市民運動が各地で新たに始まっているとしています。 中国人強制連行問題 新たな展開 上 京都・大江山 「未…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(18)

日本の敗戦後、平岸の中国人らは、米軍捕虜と連絡をとるため、平岸から芦別に向けて示威行進を行うことから始め、米兵捕虜と連絡をとることに成功した。それが、米兵捕虜6人の中国人寮訪問となり、中国人らが囚われていることを将介石に伝えることと、救援物…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(17)

地崎組社員・小倉栄治氏は、このときのもようを次のように記している。 「何かあるなと思った途端、機の胴体よりなにか落としている。寺西所長に話すと飛び出して行った。やがて落下傘が開いて、ゆっくりと警察官舎方向に流れおちていくのが見えた。すると華…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(16)

日本の警察は、中国人らの動きや米軍機による物資投下をどの程度、掌握していたのだろうか。 「俘虜収容所の標識に関する件」という俘虜管理部長が内地各俘虜収容所長、内地各軍管区、台湾軍参謀長にたいして発した指示文書は、次のように述べている。「敵は…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(15)

平岸隊の一人、武万華さんも米軍による物資投下事件について語っている(『日軍槍刺下的中国労工 石家圧集中営』所収「北海道における労務者経験」)。 「英米の労務者たちも自由になった。彼らは列車に乗って駅の近くで中国の国旗が掲げられているのを見か…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(14)

愛知教育大学の元教授・南守夫さんが、唐燦さんと一緒に連行された孔繁河さん=山東省聊城市在住=から聞いた話を紹介している。 「(戦後)また飛行機を見かけるようになり、私たちが住んでいるところへしょっちゅう飛んできました。低空飛行でした。私たち…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(13)

強制連行された父の足跡を追って北海道にきた中国湖北省黄石市に住む唐元鶴さん。彼女が父の書いた「中国戦俘隊在日本」の中の一節、米軍機による中国人寮への救援物資投下事件について平岸のお年寄りらに伝えた。「水で字を書いて、そのうえに小麦粉をまい…

美国空军的用降落伞投下纸箱

这以后不几天的一个下午,突然有三个身着土黄色夹克式军服,没带帽子的高鼻子、蓝眼睛的外国人来到我们的住也。大家猜测猜估计是煤矿里的美军战俘。这时国民党俘虏里有个会点英语的人便主动出来当翻译,一问,果然如此。正当我们同美国人握手欢呼时,几个日…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(12)

唐元鶴さんは、父が書いた回想録(「中国戦俘隊在日本」、年月日不詳)を持ってきていました。米軍の救援物資投下事件については次のように書いています。 ――近くの炭鉱で働かされていたアメリカ人捕虜3人が中国人寮を訪ねてきた。アメリカ人は、われわれは…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(11)

2012年夏、平岸に強制連行された中国湖北省黄石市の唐燦さんの娘の唐元鶴さんが来日し、北海道を訪ねた。その折、赤平市では平岸の当時を知る長老たちが集まってくださった。そして、平岸油化工場建設で働いていた様子や、戦後の米軍による補給物資投下など…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(10)

1年後に再びIさんにお会いすることになったが、Iさんは、あのときの私の質問を気にかけられていたようで、「あれからいろいろ考えましたが、やはりPOWだったと思います」と話された。勉強不足でたいへん申し訳ない質問をしたものでした。そのことがあって、I…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(9)

B-29部隊による平岸中国人寮への救援物資投下は、地元の人たちが目撃している。 平岸在住のIさんは、自宅から中国人寮が見えたという。米軍機の物資投下があったときは自宅にいた。 「何か飛行機が来るから避難しなさいと言われ、自宅の2階から見ていた。グ…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(8)

第20航空軍は、「1945年8月27日から9月20日に至る戦時捕虜への補給作戦」と題する作戦報告書に、計画策定にあたって抱えていた問題を次のように書いています。 「作戦を計画するに当って最も困った問題は、補給すべき収容所の位置と人口を決定す…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(7)

白戸仁康氏は『北海道の捕虜収容所』に同じ写真を掲載しているが、歌志内第3分所としている。『捕虜収容所補給作戦 B29-部隊最後の作戦』の編集者の一人は、この写真の収容所について何度か検討したが確証が得られず、収容所名は不明としたとのことであった…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(6)

『捕虜収容所補給作戦 B29-部隊最後の作戦』所収のPOW報告No.68「収容所:函館No.2 飛行日1945年9月13日 作戦任務No.73POW19」の写真である。収容所名は不明とされている。写真に書き込まれているデータは「4324N-14206E」。北緯43度24分・東経142度06分…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(5)

福岡の小倉の捕虜収容所には、1機で200人分の救援物資が投下された。屋根には、投下地点の目印として「PW」と書いてあり、あらかじめ空軍と捕虜との間で打ち合わせができていた。 ここで注目したいのは、「条件があれば投下写真も撮影する」としている点…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(4)

米機による平岸中国人寮への救援物資投下ということについて、米軍側から見てみよう。 『捕虜収容所補給作戦 B29-部隊最後の作戦』所収の「中国、朝鮮、台湾、満州および日本本土に向けた戦時捕虜補給作戦に関する報告」に、米軍がおこなった捕虜収容所にた…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(3)

地崎組社員・小倉栄治氏は、このときのようすを回想録につぎのように書いている。 「何かあるなと思った途端、機の胴体よりなにか落としている。寺西所長に話すと飛び出して行った。やがて落下傘が開いて、ゆっくりと警察官舎方向に流れおちていくのが見えた…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(2)

地崎組が戦後、外務省に提出した報告書のなかに「米機飛来投下物に依る暴行事件」という件名の「紛争顛末書」がある。 「(9月)11日昼頃米機2機平岸上空に飛来し華人宿舎に低空し慰問箱2個を投下し立ち去り、午後3時頃更に7機飛来し数十個の慰問品を投…

米機による平岸中国人寮への救援物資投下(1)

かれらは、みずからの要求を自分自身の力でかちとらなければならず、自分自身のカで労役をやめ、健康を回復し、生命を守らなければならず、即時送還のために、たたかわねばならなくなった。 したがってそのたたかいの本質は、アメリカ占領と日本政府と資本家…

地崎東川の個人別給与精算表(13)

70 鄭双才 53 河南省新野県 44・12・19 なし 71 李家也 21 甘粛省陶密県 45・2・26 1日2円 72 徐朝栄 41 江蘇省邱県 44・12・14(死亡記載なし。訓練27・4日 54円80銭) 73 田華 35 湖北省鐘祥県 44・11・15(死亡記載なし。労働はない) 74 袁家易 34 河…

地崎東川の個人別給与精算表(12)

44 姚緑経 26 河南省臨汝県 45・4・7 訓練30・3日60円60銭一般 51・4日213円36銭 45 陳小黒 22 河南省鄭州県 45・1・6 訓練21・9日45円80銭 46 孫伯泉 41 河北省武邑県 44・12・7 訓練2日4円 47 王懐亮 36 安徽省蒙城県 44・11・15 なし 48 王建 26 河…

地崎東川の個人別給与精算表(11)

「地崎本社に保管中」とされている死亡者に支払われるべき給与の表のつづき。 23 呉書凱 17 河南省孟津県 44・10・2 大阪港愛病院で死亡 24 平水 36 河南省染陽県 44・10・2 大阪港愛病院で死亡 25 張発旺 25 河南省新鄭県 44・10・3 大阪港愛病院で死亡 …

地崎東川の個人別給与精算表(10)

5 地崎組死亡者名と支払われるべき給与額 地崎本社に保管中になっているはずの給与は1700円余である。死亡者名と個々人の給与額を書き出してみよう。死亡者名は、中国人殉難者名簿共同作成実行委員会作成の「中国殉難者名簿」による。 1 孫金生 20 河南省…