西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(7)

 ここで、最高裁の判決をみておこう。

 最高裁判決は、まず、「強制連行及び強制労働の実情に関し,原審の適法に確定した事実関係の概要」として次のように認定している。

 ・上告人(本件当時の商号はY’)は,中国大陸に進出する日本軍の軍事行動に追随し,鉄道建設,道路工事等を多数受注するなどしていた土木建築会社であるが,広島県山県郡において,昭和18年6月から昭和22年3月までを工期として,安野発電所の建設工事を受注していた。ところが,この工事のために必要十分な労働者を確保することができなかったことから,その不足を中国人労働者で補うため,昭和19年4月,移入労働者の割当てと管理を所管することになっていた厚生省に対し,同発電所建設工事のための中国人労働者の移入の申請をし,300人の割当てを受けた。上告人は,これを受けて,現地で中国人労働者の供出機関として活動していた華北労工協会との間で中国人労働者の供出及び受入れに関する契約を締結した。そして,同年7月,青島において,日本軍の監視の下,華北労工協会から上告人に対し,中国人労働者360人が引き渡された。本件被害者らはこのうちの5名である。

 ・360人の中国人労働者らは,昭和19年7月29日,青島で貨物船に乗せられ,7日後に下関港に到着したが,この間3人が病死した。その後,中国人労働者らは,安野発電所事業場まで運ばれ,4グループに分けて収容施設に収容され,監視員と警察官によって常時監視されることとなった。上記中国人労働者らは,導水トンネルの掘削等の労働に昼夜2交替で従事することとなったが,1日3食支給される食事は量が極めて少なく,粗悪なものであったため,全員やせ細り,常に空腹状態に置かれることとなった。また,衣服や靴の支給,衛生環境の維持等が極めて不十分であった上,傷病者らに対する治療も十分行われず,昭和20年3月には傷病により労務に耐えないとの理由で13人が中国に送還された。なお,同年7月13日には,と殺した牛の肉の配分をめぐって中国人労働者間で争いが生じ,かねて日本人の現場監督に協力的で特別待遇を受けていたとみられ仲間から憎悪されていた中国人労働者の大隊長ら2名が撲殺されるという事件が発生した。この事件の被疑者16人は広島刑務所等に収監されたところ,同年8月6日の原子爆弾の投下により5人が死亡し,他の11人も被爆した。