2013-01-01から1年間の記事一覧

地崎東川の個人別給与精算表(6)

2 表の概要 賃金精算表は、国会図書館憲政資料室でコピーしたものだが、3枚分の名簿が欠けている。これはコピーの際の不手際によるものか、GHQ/SCAP文書自体が欠けているのか、まだ確認できていない。近々確認するつもりである。逆に重複したページが数枚…

地崎東川の個人別給与精算表(5)

12月20日に一般期間が始まったとして、魏振川の労働日数201日に、休日・天候による休業日数を加えた日数を以って給与精算表が作成された日と推定するが、地崎東川の日誌(5月9日まで存在する)を見ると、悪天候および検診、正月休みによる休業が21日あった…

地崎東川の個人別給与精算表(4)

東川事業所は、2回にわたって強制連行を行った。1回目の移入では、船中および大阪上陸時に多くの死亡者を出したため、その人員補充のため、2回目の移入を1カ月後に行ったのである。魏振川は、東川のなかで労働日数が一番多いことから、第1次の移入とし…

地崎東川の個人別給与精算表(3)

給与精算表はいつ作成されたか 東川の隊で最後に死亡したのは「王束昌」で、45年11月4日に死亡している。適要欄に死亡の記載があれば、当然ながらそれ以後の作成となる。王の欄には死亡の記載はないから11月4日以前であろう。 ところが、別の人の記載を見…

地崎東川の個人別給与精算表(2)

表を掲載する順序が逆になりました。こちらを先に出さないと「番号・職名・氏名・年齢・訓練中の日数と支給額・一般(訓練期間後)の日数と支給額・諸経費・差引支給額・適要」が書かれていることが分かりませんでした。失礼しました。

地崎東川の個人別給与精算表(1)

GHQ/SCAP BoxNo.1309 LS-23670に地崎東川事業所の「対日供出労工名簿」がある。上の表がそれである。「個人別の給与精算表」だが、作成された時期は記されていない。記載内容は、番号・職名・氏名・年齢・訓練中の日数と支給額・一般(訓練期間後)の日数と…

中国人の実態調査で発疹チフスに感染、死亡した巡査

以前、「あかびらふるさと文庫」に華人寮で発疹チフスに感染して死亡した警察官のことにふれた赤平市宝性寺の黒川カヲリさんの文章を紹介したことがあった。「戦時中、炭破労働者の間にずいぶんと『発疹チフス』という伝染病が流行しまして、特に環境の悪い…

地崎組平岸事業所での馬春別告別式

平岸で1945年7月4日に結核性腹膜炎で死亡した馬春玉の告別式が7月5日に行われ、中隊長以上と指導員の参列で行われたことを示す書類がGHQ/SCAPの中にある。20年7月11日付の「平岸華人宿舎立換金」という表題が付けられている。 「地崎組報告書」および「死亡…

名古屋―平岸連送(6)

二隊が上野に到着したのは、26日深夜である。そのため上野で1泊させ、27日午前9時40分に汽車に乗り、青森に向かった。 ●地崎組労務部あて 二タイウエノチャク二二ジノタメヨテイノコウドウトレズ 二七ヒ九ジ四〇フンウエノハツトナリ アオモリ二八ヒ七ジ一…

名古屋―平岸連送(5)

一隊の160名が青森に着いたのは27日の午前10時である。そして、同日午後1時に乗船している。 ●地崎組労務次長あて カロ一六〇レンソウシヤ一〇ヨテイドウリツイタ 二七ヒ一ジフネ ヒラギシハ二七ヒ二〇ジ四八フンチャク ゼンインゲンキオオセイナリ ア (華…

名古屋―平岸連送(4)

●25日6時40分地崎組労務次長あて ○○ユソウノカンケイニテアオモリジョウセンヨリダイヤヘンコウス 一タイ二七ヒ一ジ三〇フンアオモリハツ六ジ三〇フンハコダテハツ一九ジ五〇フンタキカワチャク二〇ジ四八フンヒラギシツク ヤショクノテハイタノム アサベン…

名古屋―平岸連送(3)

明細に書かれている6月23日の電報は一連の綴りにはなかったが、この電報を受けて、地崎組本店は秋田屋旅館に電報を打っている。 ●6月23日秋田屋旅館あて 二四ヒアサ六メイツクタノム チザキグミホンテン (24日朝6名着く 頼む 地崎組本店) 「華人連送」に…

名古屋―平岸連送(2)

名古屋華人平岸~移動連送費用内訳明細書の2ページを見よう。 29日に「本店ヨリ送金 4000円」とある。荒金係長は、愛知県を発つとき「諸経費概算持出金」(仮払い)1000円を受け取っていたが、青森での手持ちが無くなったため地崎組本店に金を請求し、送金さ…

名古屋―平岸連送(1)

GHQ/SCAP LS23672のなかに「名古屋華人平岸~移動連送費用内訳明細書(但シ青森~平岸間経費)」があった。 地崎組(現・岩田地崎建設)は、1944年から45年にかけて中国人を愛知県の大府飛行場(東海市と大府市にまたがる丘陵地)で強制労働させたが、45年6…

地崎組東川事業所日誌 巡回検診と体重検査(2)

東川事業所では、労務報国会による巡回診療も行われている。11月15日の日誌には、「労報より派遣の大学解剖学博士平井氏及看護婦二名の来所ありて午前八時半より全員検診ありて患者はそれぞれ治療を受けたり」と書かれている。「労報」は、労務報国会の略称…

地崎組東川事業所日誌 巡回検診と体重検査(1)

巡回検診と体重検査 極寒の地で水につかっての遊水地工事で、地崎組は連行してきた中国人の生命と健康にどう責任を果たしたのだろう。 地元の医師による往診がたびたびあったこと、ときには注射もしていることが日誌には記述されていることは、各月の日誌を…

地崎組東川事業所日誌 逃亡事件の発生

逃亡事件の発生 東川事業場報告書によれば逃亡事件は2件起きている。その一つが昭和20年1月7日の3名逃亡である。 「滝川町に於いて発見現場に帰舎せしめたり。逃走の原因は三名共に怠惰の性質にて稼働態度甚だしき不良なる為他の影響を恐れ小隊長は常に…

地崎東川3-4月の日誌 作業場は戦場(2)

山崎指導はさらに、22日午後6時50分の点呼後班長を集合させて、中国勤労隊員の使命を強調し、「班長中心ノ突撃作業」を求めた。そして、翌23日、「此ノ四五日出勤稼働率ノ目醒シキ上昇ヲ賞シ、出勤六日以上ノ者ニ対勤労酒ヲ配給シ一日ノ休養ヲ取ラシム」とニ…

地崎東川3-4月の日誌 作業場は戦場(1)

3―4月の日誌 「作業場は戦場」 3月17日、日誌は「点呼後、隊長、副隊長、中隊長三名集合シ、能率増進計画に対シ山崎指導長ヨリ別紙計画通リ説明。十九日ヨリ出勤率を期待ス」と中国隊指導部に強く出勤率向上を求めた。 18日には副隊長立ち会いのもと医師…

地崎東川事業場日誌/1-2月 「氷点下25度の作業」

1-2月「氷点下25度の作業」 [2月15日]第四小隊サイホン根掘リハ凍水甚シク故中食ヲ理用シテハッパ三ケ所ニ掛テ切開ス。 [2月20日]今朝ニ至リ冷下二十三度、隊員ノ凍傷ノ恐レアルヲ以テ出働八時。幹線排水掘、玉石採取、石垣積ノ作業ニ就労セリ。 [2月21…

地崎東川事業場日誌/12月 「凍傷患者を診療」 (つづき)

12月の作業中の事故は、次のようなものが起きている。 [12月12日]事故。一〇九番作業中飛石の為負傷セリ。 [12月13日]本日作業中、一六五番ツルハシニテ左手裂傷シ午前十時帰舎。加療ナシ休養セシム。 作業は、12月31日午前中まで続けられ、1月1~3日は正…

地崎東川事業場日誌/12月 「凍傷患者を診療」

遊水池工事は、春の水耕前に完成が求められていたから、真冬の排水路工事となった。砂利採取はときには水に入っての作業となった。12月11日の日誌は、「午前七時二〇分出働。本日一二三名。幹線排水。第一小隊玉石取。寒冷ヲ忍デ隊員一同意気軒昂なり」と書…

地崎東川作業場日誌10-11月(2)

11月下旬の作業は、第2遊水池の「小間割作業」である。発電所から流れてくる冷たい水をためて、温める溜め池掘りである。小さく区割りして、作業を進めることからそう呼んでいるものと思われる。日誌には「小廻作業」という言葉もでてくるが、同じ内容であ…

地崎東川作業場日誌10-11月(1)

10―11月の日誌 「小間割作業能率上がり」 東川では、11月5日から6日にかけて雪が降り、7日はみぞれが振っている。この3日間は、作業はとりやめになった。この間に休養・入室者は76人(5班は3名)とわずかながら増えている。 天気が回復し、作業が再開…

地崎組東川事業所日誌の記載事項について(3)

事業所日誌の点呼表には、「休養」者数と「入室」者数が書かれている。休養者は病気で仕事に出られない者のうち所属班のベッドで寝ている者、入室者は別室に移された者をいうのであろう。入室者は休養者に比べてより重症であろうが、休養者が入室することな…

地崎組東川事業所日誌の記載事項について(2)

日誌の記載内容をもう一日見よう。 [昭和十九年十月二十九日日曜日雨天] 起床 昨夜来ノ降雨ノ為午前五時四十五分 朝食 午前六時二十分 朝の行事 降雨ノ為行事中止。舎内ニ於テ点呼ヲ行ウ。就労一時中止スルモ止ムル見込ナク午前午後共ニ舎内ニ於テ日本語及作…

地崎組東川事業所日誌の記載事項について(1)

地崎東川事業所の日誌は「記事」と「点呼表」からなっている。「記事」には、「起床」「朝食」「朝の行事」「就業」「事故」「閉業」などが書かれている。それらの記事がどのようなものであるか、見てみよう。 [昭和十九年十月二十八日 曇天] 起床 午前五時…

地崎組東川日誌について(3)

東川作業場の日誌が、初めの1カ月が欠けていることは、中国から連行されてくる過程で生死の境をさまよった中国人らが作業場でどのような扱いを受けながら暮らしたか明らかにならない問題を指摘したが、もうひとつ気になることがある。 地崎組東川の事業場報…

地崎組東川日誌について(2)

第2次連行が新たな契約に基づくものではなく補充としておこなわれたと事業場報告書は書いている。契約数が空欄であること、第1次で多数の死亡者を出した原因を地崎組が調査し、塘沽港で華北労工協会が適切に労工を管理しなかったとし、責任を追及している…

地崎組東川日誌について(1)

中国人強制労働現場のひとつである北海道東川の地崎組東川事業所の実態について、地崎組の「日誌」から迫ってみたい。 地崎組東川事業場について① GHQ/SCAP文書の中に、「昭和拾九年 日誌 地崎組出張所」と書かれた日誌が含まれている(BOX.1308 LS-23665、2…