オホーツク民衆史講座と中国人強制連行(4)
九七講「イトムカの朝鮮人・中国人」で配られた小池喜孝氏作成の資料です。
(イ)朝鮮人の強制連行は(野村鉱業のみ)
官斡旋 昭和十七~十九……七四〇人
徴用 昭和十九~二十…… 二二五人
転用 昭和十六……… 五五人
計一〇二〇人
(ロ)地崎組・土屋組が連行した朝鮮人の数は不明
(ハ)野村鉱業伊屯武華鉱業所の下請けとして水銀鉱採掘に労役した地崎組北海道第一華人収容所は、連行中国人の懲罰収容所としてできたもので、そこに入られた一〇六人の中国人は、全国二五力所の事業場からいわゆる「不良華人」として集められたものであるが、ここの「事業場報告書」は、収容した当時の中国人の状況を次のように述べている。
「受入当時は飢餓道に入ったほどの飢をしめし、彼らのいうところによれば、じつに餓死の一歩まえまでに食物が少なかったとのことである。人間の衰弱したのは、これほどになるものかと驚くのほかないほど肉体が消耗し、まったく骨と皮がまといついている状態で、大人であるのにじつに体重七貫三〇〇匁(二七・三七五キロ)となったものを連行したもので、ほとんど十一貫(四一・二五キロ)か十二貫(四五キロ)の程度であった。これは恐らく事実に近い状況を示すものであろう。華北の中国農民は一般の日本人にくらべ、はるかに体格がよく、平均して六〇キロをこえているが、それが半分にまで減ってしまっている(『草の墓標―中国人強制連行事件の記録』)