「置戸町史」に見る中国人強制連行(4)
「置戸町史」があげた三つ目の中国人強制連行の人数は、
③「昭和二〇年四月調査の長官事務引継書の移入労務状況一覧表」及び昭和二一年三月調査の「事業場別中国人強制連行並死亡状況表」――です。
置戸町史は、資料として「新北海道史」をあげ、
ただし、二つの資料を一つの表としたのが新北海道史なのか置戸町史なのかは、新北海道史に確認する必要があります。
「昭和二〇年四月調」では、地崎組と野村鉱業の数字だけになっています。伊藤組の中国隊は昭和二〇年六月一日に到着しているので、データがないのは当然です。そのことの注がないのは、いかにも不親切。
「昭和二一年三月調」では、地崎組の人数は「大陸供出人員」が四九二人で、着山前と後の死亡者二〇人を減じて二〇年三月末の人員を四七二人――と読むことができます。実際には、イトムカに着いた四九二人のうち、石門隊二九二人が置戸に移動し、残りの済南隊二〇〇人はイトムカに残り、同年一一月に両隊とも愛知県大府にいどうしています。このことがなぜ付記されていないのか。編集者が、このことを知らないとしても「大陸供出人員」と「大陸連行人員」が、同じ内容をさしているのか、異なる内容なのか、疑問になるはずですが・・・。
さらに、「事業場別中国人強制連行並死亡状況表」を『中国人は日本で何をされたか』から引用していることも解せません。『中国人は日本で何をされたか』には、『草の墓標』からの引用と書かれているのです。『草の墓標』は入手困難な書籍とは思えません。