溏沽万人坑を訪ねて(4)

 塘沽新港で少年工として働いていた左文治さんは、万人坑記念碑が建っている場所から北に約600メートル離れた地点に万人坑はあったと証言しています。開発で道路がつくられることになり、現在地に移されたというのです。

 再開発がいつのことだったのか、記事に書いてあったような気もしますが、データを喪失してしまったため、不明です。

 1989年であれば、再開発されたあと、碑が造られた(「塘沽労工集中営遺跡碑文稿」)ということになりますが、時期が違うのであれば、それまでまったく碑が造られなかったのかという疑問が発生します。いずれにせよ、労工収容所について、1970年ころから天津塘沽港務局が調査していたようなので、港務局で聞いてみる必要があります。