溏沽万人坑を訪ねて(3)

 1992年に造られたこの碑は最初のものではなく2番目に造られたようです。最初の碑が造られたのは1989年。『日本略奪華北強制労工档案史料集』(中国社会科学院近代史研究所、北京市档案館など編)に「塘沽労工集中営遺跡碑文稿」として掲載されています。

 <日本軍国主義は、侵略戦争の必要上、中国の労働者をさらい、日本に連れて行き、強制労働をさせた。塘沽新港労工収容所は徳大埠頭に1943年につくられ、後にこの場所に移された。ここは現世の地獄で、多くの労働者が虐待を受けて死んだが、それゆえ、人々は「労工営」と呼んだ。中国人民は奴隷のような労働に甘んじなかった。「労工営」では反抗事件が絶えなかった。1944年6月深夜、わが党の2人の幹部が率いておこなった第1次の暴動では114人が逃げ出した。この事件は塘沽新港の労工の大暴動として当局を震撼させた。>

 徳大埠頭にも行きたかったのですが、時間がなく、課題として残りました。