迫る沖縄知事選

 沖縄県知事選挙が目前に迫っている(9月13日告示、30日投票)。主要メディアは、冷淡だが、都内で開かれている市民集会を覗くとそうでもなく、関心が高まっているようだ。

 知事選に先駆けて9日開票された名護市議選では、定数1減のなか、与党は現状維持の13人、野党は1人減の12人、中立1人となった。2月に誕生した渡具知市長は、この間、与野党拮抗する議会にあって、苦しい市政運営を迫られてきた。その状況は基本的に変わらない。とくに、辺野古新基地建設を巡っては、反対を表明していた議員が賛成を大きく上回った。この結果を見る限り、知事選も、玉城デニー氏と佐喜真淳元宜野湾市長との激しいデッドヒートが繰り広げられていくだろう。

知事選の最大の争点は、佐喜真氏がどのような選挙戦術をとろうが、辺野古新基地建設の是非であることは疑いない。

今年初めの名護市長選挙で自民が推す新人候補が当選したとき、安倍首相は、辺野古新基地建設に反対する現職の稲嶺進氏を破ったことに狂喜し、「名護市民に感謝する」とコメントした。一地方の選挙に自分の首をかけたかのような執心ぶりだった。今回も政権が激しく動いている。菅官房長官は沖縄に入り、「選挙戦のすべりだしが肝心。名護市長選では、初めは鈍かったが、開けてみたら大差で勝った」と語ったという。また、自民と公明の連合について、「公明党はやるとなったらとことんやり、大きな力を発揮する」とも言ったという。翁長さんの弔い選挙だからデニーさんになるというような甘い見方をしていたらとんでもないことになる。

安倍政権が表に出れば出るほど、辺野古に焦点があたることになるが、それだけではない。沖縄県が仲井真元知事の埋め立て承認を撤回したことも、大きい。撤回の会見をおこなった謝花副知事は、くりかえし、純然たる行政手続きだと語ったが、県政の命運をかけた決断だ。謝花副知事は、撤回処分に対して防衛局から反論を聞いた聴聞手続きの結果として(1)事前協議を行わずに工事を開始した違法行為(2)軟弱地盤、活断層、高さ制限および返還条件など承認後に判明した問題(3)承認後に策定したサンゴやジュゴンなどの環境保全対策の問題―が認められ、違法な状態を放置できないという行政の原理の観点から、承認取り消しが相当であると判断したと述べた。

政府は、撤回の効力を止める執行停止などを裁判所に求める法的な対抗措置を検討しているとされているが、はっきりした動きは今のところない。選挙にマイナスにならないよう動きを止め、選挙後に一気に動きだす腹であろう。

それゆえ、候補者は、撤回にどのように対応するのかを県民に示す義務がある。玉城氏は、県の決断を断固支持すると明言した。佐喜真氏は、現段階での県の判断とし、その判断の根拠について十分承知していないとしている。両者の違いは鮮明である。

 それにしても、翁長知事の撤回にかける思いは、県民を大きく揺さぶった。妻・樹子さんは、地元紙にこう語った。

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 沖縄県の翁長雄志知事の死去から8日で1カ月を迎える。政治生活を二人三脚で支えてきた妻、樹(みき)子(こ)さん(62)は、那覇市長時代に胃がんを克服した翁長氏が、今度も病魔に打ち勝つと希望を捨てなかった。しかし、壮絶な闘病を世間に隠してまで公約を貫こうとする夫の姿に、政治家の妻としての思いは揺れ動いた。埋め立て承認撤回が目前までたどり着き、樹(みき)子さんは「後の命は要りませんから、撤回まで人前で真っすぐ立てるようにしてください」と主治医にすがっていた。

 翁長氏の体に変調が現れたのは、今年に入って体重が60キロ台まで落ち込んだことだった。樹子さんは「胃がんを患った際に『80キロを割ったのは中学校以来だ』と言っていたくらい元々は大きな人だった。痩せて見えないようにと、実は下着を3枚重ねて着ていた」と明かす。

 4月に検査入院で膵臓(すいぞう)がんが判明した。病部を切除する手術を受けたが、1週間後に心臓の不調を来した。検査の結果、がん細胞が飛び散り、肝臓まで転移していることが分かった。さまざまな抗がん剤を試したがどれも効果が出ず、副作用にも苦しんだ。口内炎がひどくなり食事も進まず、水を飲むことさえ困難になっていった。

 翁長氏は7月27日に記者会見で埋め立て承認撤回の方針を表明した。だが会見の前夜には、知事公舎に帰るなり、玄関に置いてあるいすに3分ほど座り込んだ。立ち上がってもすぐに台所やリビングのいすで休んでは息を整えた。玄関から着替えのため寝室に入るまで20分かかるほど、体力は衰えていた。

 会見の日の朝、「記者の質問に答えることができるだろうか」と弱音を吐いた翁長氏を、樹子さんは「大丈夫よ。できるでしょ」と送り出した。ただ「撤回という重大な決断をするのに、判断能力がないと思われてしまうわけにいかない。不安だったと思う」と夫の心中を推し量る。

 会見を終えて帰宅した翁長氏が「30分くらい自分の言葉で話ができた。よく保てた」とほっとした表情で報告するのを聞き、樹子さんは「神様ありがとう」と心の中で叫んだ。

 だが、会見から3日後の7月30日、病状が進み翁長氏は再入院する。翁長氏はがんの発覚後、死が迫ると感情を制御できず家族に当たってしまうことを心配していた。「そうなってもそれは本当のお父さんじゃないからね」と子どもたちに語っていたという。樹子さんは「治療の選択肢はどんどん狭まっていったが、最期まで死の恐怖に駆られることはなかった。最期までいつも通りのお父さんだった」と目頭を押さえた。

 保守政治家として「政治は妥協の芸術」を信条とした翁長氏だったが、辺野古新基地建設阻止だけは譲らなかった。「樹子、ウチナーンチュはみんな分かっているんだよ。生活や立場があるけれど、未来永劫(えいごう)、沖縄が今のままでいいと思っている県民は一人もいないんだよ」という翁長氏の言葉が忘れられない。樹子さんは「県民の思いが同じであれば、いつまでも基地問題を挟んで対立しているのは政治の責任でしかない」と訴える。

 承認を撤回して海上工事を止めれば、県の職員まで損害賠償が及ぶと国がちらつかせてきたことを翁長氏は知事として気に病んでいた。樹子さんは記者に対し「国が一般職員まで脅すなんて不条理が本当にあるのでしょうか。それにもかかわらず、そう出てくると言うならば、その時こそペンの出番ですよ」と言葉を掛けた。

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 佐喜真氏が翁長知事の遺志を受け継ぐと語ったことに、「わが耳を疑った」という思いを抱いた人は少なくない。前回の宜野湾市長選挙で、「机をたたいて普天間の固定化はだめだと迫った」と佐喜真氏は演説したが、そのとき以上のそらぞらしさ。

 「政権の冷ややかな仕打ちに直面しようとも、たじろがず、ウチナーンチュの誇りを持って臨んだ、翁長知事の勇気と行動が、少しずつ、少しずつ、国民の関心を呼び覚ましているのです。埋め立て承認の撤回を、私、玉城デニーは全面的に支持してまいります。私は、しっかりと翁長知事の遺志を引き継ぎ、辺野古新基地建設阻止を貫徹する立場であることをここに表明致します」―おのれの意思と気持ちを飾らずに語る玉城氏の姿勢とあまりにも対照的だ。