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天津在日殉難烈士紀念館を訪ねて(13)

 天津日報2000年07月17日の記事には「以前にも同じような碑が同地で見つかっている」とあるのは、1995年のことのようです。

 強制連行問題の研究者・老田裕美さんが、「1995年8月15日 日本の侵略者が中国労工を殺害した1つの確証 当市は死亡した戦争俘虜の墓碑が見つかる」という報道記事を紹介しています。(「918網」)

 ▽最近天津で“死亡捕虜労工の墓”の石碑を発見された。昨日午後、天津档案館の“日本が天津で犯した侵略犯罪にかんする档案史料展”で展示した。

 ▽“死亡捕虜の労工墓”の石碑は西青区中北斜郷大稍直口村の村民・于富貴が見つけ、西青区档案館に寄贈した。石碑の高さは1メートル27センチ、幅56センチ、厚さ12センチ。碑の裏には日本で死亡した400人の戦争俘虜労工の名簿が刻まれている。

 ▽この墓碑の内容を館が所蔵する市の史料と照合した。天津書類保存館の館所蔵の史料の記録によると、1945年の10月18日から1946年の3月11日までに、日本に強制連行された天津籍の労工の遺骨1561人分が、日本から天津に返された。その時新聞に載った104人分の外、1457人分が天津市政府の帰国労工管理処から市警察に移管され、保管された。1946年10月、大稍直口汪家庄で4.5ムーの土地を確保。市警察局は人員を派遣し、関係者と一緒に30個の穴を掘って、赤いレンガを敷いて、埋めた。あわせて4つの石碑に名前を刻み、識別できるようにした。今回発見された石碑は、その中のひとつだ。 

 1995年に発見されたものは第二の石碑で西青区档案館所蔵、2000年に発見されたものは第一の石碑で天津博物館所蔵、そのレプリカが天津在日殉難烈士紀念館の2階ホールに展示されている、ということになっているようです。