天津在日殉難烈士紀念館を訪ねて(10)

 天津市警察局がまとめた日本で死亡した労工の遺骨の姓名台帳があるそうです。それによると、地崎組関係では、伊屯武華11人、大府2人、平岸2人、第一華人2人、大夕張23人、上砂川38人。(老田裕美:在日殉难中国劳工的骨灰回到祖国怀抱)

 大府で死亡したのは5名ですが、天津市警察局の記録では2名というのはどういうことでしょうか。また、新たな疑問が出てきました。帰国労工隊のうち、八路軍出身者は、国民党軍に編入されるのを避けて、天津市での帰国手続きをせずに直接、解放区に行ったという証言がありますので、その人たちが持ち帰った遺骨も天津市警察局に渡さずに故郷に持って行ったということが考えられます。宋学海さんの遺骨もそのケースだったという仮説をたてることも無理筋ではないと思います。いずれにせよ、天津市警察局の姓名台帳を見たいものです。

 宋学海さんの遺骨が、もう一度、遺骨送還運動で中国に送り届けられたわけですが、そのとき何があったのか、今後、明らかにする必要があります。

 紀念館の職員は、「山東省の屈起杰さんも、おじさんが労工から遺骨をもらったが、紀念館にも遺骨があります」と話しました。