沖縄県の猛抗議を無視してオスプレイの飛行が再開された

 米軍は、13日の墜落事故以後、オスプレイの飛行を中止していたが、きょう19日、沖縄県の猛抗議にも関わらず、再開した。17日に日本政府は飛行再開を認める方針を固めたという報道があったので、不意打ちを食らったわけではないが、まだ機体の破損部品の回収も終わっていないのに飛行再開である。
 米軍が、機体の構造的欠陥に起因するものではないと一言言ってしまうとそれで終わり、原因究明などどこかへ吹っ飛んでしまった。そして、その米軍に何も言わない日本政府。安倍政権もまた、軍事優先の思想にどっぷりつかってしまっているのだから手の施しようがない。まことに恐ろしい日米軍事同盟である。

 それにしてもお粗末だったのは、きょうになって空中給油機がKC130ではなく、MC130だと訂正されたことだ。空中給油訓練を行ったのは、発表では空中給油機1機とオスプレイ2機、そしてオスプレイではないヘリ1機、全部で4機である。その空中給油機を間違えた。米軍が間違えて説明したのか、情報を受けた防衛省が間違ったのか、それとも防衛省が単に空中給油機と聞いたのを勝手にKC130と思い込んでしまったのか。訂正理由も示されていない。
 沖縄の負担軽減の代名詞のごとく宣伝されたKC130の岩国移転。そのKC130がなんで沖縄に来て訓練をやっているのか、本籍を移しても現住所はもとのままかと思った人もいるだろう。
 沖縄の基地負担を絶えず気にかける人は、問題の航空機が岩国基地所属なのか嘉手納基地所属なのかも大きな問題になるのだが、そうでない人には、KC130でもMC130でもどうでもいいのかもしれない。

 

防衛省が発表した情報は、次の通りだ。
・不時着水したオスプレイは、沖縄北東の海上で、他のオスプレイ1機とともに米空軍嘉手納基地所属MC-130×1機から空中給油を受ける夜間訓練を実施していた。空中給油訓練は、常に陸地から離れた海の上空で行っているが、事故当時も陸地から数十Km離れた沖合上空で実施していた。
・空中給油機から出される給油ホースにオスプレイ側の受け手の給油管(プローブ)を差し込み、給油が行われた。給油が終了し、オスプレイのプローブとMC-130の給油ホースを分離させた後、21時5分頃、乱気流等により、給油ホースとオスプレイのプロペラのブレード(羽)が接触し、ブレードが損傷した。
オスプレイのブレードの損傷は回転するうちに大きくなり、飛行が不安定な状態となった。パイロットの判断により、訓練地点から相対的に距離が近いキャンプ・シュワブを目的地として飛行する中で、地元への影響を極小化するため海岸沿いを飛行していたが、途中辿り着けないことが分かったため、パイロットが意図した地点である浅瀬に不時着水した。

 

 翁長知事は、オスプレイが飛んだ事実を確認した後、メディアの求めに応じ、会見を行った。
 「県としては、オスプレイに対する県民の不安は一向に払拭されていないと考えており、飛行再開に強く抗議する」

オスプレイ墜落現場から

 オスプレイ墜落から5日目の12月17日、名護市安部区の浅瀬では、アメリカ軍が機体の残骸の回収を進めていた。安部集落から海岸に出ると、目の前の砂浜には米軍がブルーシートを広げ、そのこに、ゴムボートで運んできた胴体の一部とみられる破片をいったん並べていた。そして刷毛で白っぽい液体を塗っていた。腐食がすすむのを防ぐためだろうか。引きちぎれた配線もあった。
 米軍は14日午後から機体の回収を始め、真っ先にフライトレコーダーを運び出したようだ。
 現場は、安部集落から800メートル。ギミ崎の先端で、干潮時には岩伝いに歩いていけるところである。17日午後、安慶田副知事が名護署長の案内で現場を見に来ていた。「午前中にも来ようと思っていたが、干潮でないと機体が見られないという話だったので」「事項当時、イザリ漁をしていた住民もいたようだね」などと話していた。イザリ漁というのは、潮が引いた時にできる潮だまりでタコや魚、貝などをとる漁をいうようで、12月から3月頃がシーズン。
 墜落現場は、集落の至近距離であり、住民が漁も行う海辺である。「若いパイロットは、沖縄県民の安全のために、住宅地を避け、浅瀬を選んだ」とローレンス4軍調整官は、パイロットをヒーローであるといったが、とんでもない弁解で、許されない。まさに「大惨事一歩手前」だった。

 

 12月14日、在日米軍司令官ジェリーPマルチネス中将は次のコメントを発表した。
 「今の時点で米軍が得ている情報に基づくと、今回の事故はMV22自体全体もしくは今回の機体のシステム、機械的もしくはそれに関係する要因で発生したものではありません。昨夜、事故発生時、MV22オスプレイ1機が沖縄沿岸にて空中給油訓練を行っていました。報告によると、MV22のプロペラのうち1枚が給油装置のホースに接触して期待を損傷し不安定になりました。沖縄県民と乗員の安全を考慮し、パイロットは県民の住宅やご家族の上空を飛行することを回避し沿岸の浅瀬に着陸することを決断しました。乗員5名は日本の海上保安庁と第33救難飛行隊からの緊急要因に救助されました」とし、「米軍の最優先課題は常に安全性です。この機体のパイロットは沖縄の地域の安全を考慮しキャンプ・シュワブ沖に着陸することを決断しました。軍の運用においては常にいくつかのリスクが内在し、我々はそのようなリスクを減らすよう慎重に計画を立てています。今回の事故においては空中空輸訓練を洋上に設定された訓練空域で行っていたことがあげられます」

 防衛省は米軍の発表をうのみにして「MV22オスプレイの不時着水及び防衛省自衛隊の対応について(第3報)」という発表を行っている。
 「1.事案概要
 平成28年12月13日(火)午後9時30分頃、沖縄県名護市東海岸から約1㎞沖合で米軍機MV-22オスプレイ1機が不時着水。事故原因は不明。搭乗員5名は無事(うち2人は怪我)。
 上記情報については、引き続き確認中。
2.防衛省自衛隊の対応
(1)活動部隊 空自那覇救難隊(那覇
(2)活動規模 航空機2機
(3)主な対応状況
【12月13日】
22時28分 防衛大臣指示
 1 情報収集を徹底し、状況の把握に努めること。
 2 人命救助に万全を期すこと
 3 地元への説明など、対応を確実にすること。
23時05分 那覇救難隊のU-125×1機が捜索活動のため基地を離陸。
23時17分 那覇救難隊のUH-60×1機が捜索活動のため基地を離陸。
※要救助者は米軍機により収容
【12月14日】
0時頃~1時頃 沖縄防衛局長がコンウェイ在沖米海兵隊政務外交部長に面談し、事故に係る原因究明・情報提供、安全が確認されるまでの飛行停止について申入れ
2時20分~50分 防衛大臣マルチネス在日米軍司令官へ電話し、事故に係る原因究明・情報提供、安全が確認されるまでの飛行停止について申入れ
10時20分~40分 沖縄防衛局長がニコルソン在日米軍沖縄地域調整官と面談し、事故の状況や飛行停止の状況等について確認(※回答は下記と同様)。
10時42分~11時23分 防衛大臣マルチネス在日米軍司令官と電話会談。米側から、
・事故機が空中給油訓練実施時にホースが切れ、不具合を生じた
・飛行困難となりキャンプ・シュワブを目的地にして飛行するなかで、地元への影響を極小化するため海岸沿いを飛行していたが、途中で辿り着けず着水した
・機体はコントロールできる状態だった
・事故の原因が機体である可能性は極めて低い
・安全が確認されるまで一時飛行が停止される
ことについて確認した。」

 

 翁長知事をはじめ多くの人がまず指摘したのは、「大破した状況から見て墜落」であり、不時着というのは、事故を小さく見せかける意図があるのではないかということだった。また、聞かれたのは、オスプレイのプロペラの向きである。速度を出して飛行しているときは、プロペラを前向きにするが、着陸時は上に向きを変える。墜落したオスプレイのプロペラは前を向いていた、つまり着陸態勢の「ヘリモード」に変えることもできないまま墜落したという指摘だ。それゆえ機体をコントロールして不時着したということはないというのである。
 米軍発表にはこのような重大な疑問がぶつけられている。こういう態度を米軍が取っているため、米軍だけの事故調査で真実が明らかにされるか、不信も募る。ところが米軍は海上保安庁の捜査協力要請を拒絶している。日本政府は、このことには何も発言していないようだ。どこまでもアメリカいいなりの日本政府だ。日本の警察や海上保安庁も捜査ができるようにすべきだろうし、航空機などの事故を専門に扱っている事故調に、解明にあたってもらうべきではないか。地位協定を盾にそうしたことを拒絶すれば、ますます米軍に不信の目が向くだけである。

 もう一つ、米軍と日本政府が矮小化しようとしているのが、同じ13日深夜に起きたオスプレイ胴体着陸だ。
 ニュースは14日午後に流れた。出所はニコルソン4軍調整官の記者会見だった。この点では、完全に隠そうとしたわけではない。しかし、墜落とは無関係だと強調しているのである。稲田防衛相も同日記者会見で「着陸時に足が壊れたと説明を受けている」と述べている。しかし、本当に無関係だろうか。
 16日付の沖縄タイムスは、「2機で給油訓練を実施し、その後、墜落した機の捜索に当たっていた『僚機』のオスプレイが、燃料が少なくなったため、普天間に帰還。その際、着陸装置に不具合が生じ、胴体着陸していた」と書いた。


 防衛省はこの件について次のように説明している(16日)。
 「本件に関しては、これまで米側からは、
・ 事案が発生したのは、13日午後11時45分頃であること
・ 同機は、普天間基地に着陸時、着陸装置に故障を生じたものの、所定の手順に従い、通常の制御可能な状態で緩やかな着陸が行われたこと
・ 当該機は着陸装置以外の全ての機能は正常であったこと
・ 負傷者はなかったこと
・ 同機は、当時通常訓練を行っており、不時着水したオスプレイからの救難連絡を受け、着水現場に向かい、空中監視を行っていたこと
等の情報を得ている」


 この傍線部分の記述からすると、墜落機と名護の30キロ沖で訓練をしていた機とは読めない。いつ、どこで「救難連絡」を受け、何時何分に現場に着いたのか。墜落機と一緒に訓練を行っていた機はどうしたのか。疑問がわく。墜落機といっしょに訓練を行っていた機もトラブルを起こしたことを曖昧にしたかったのではないだろうか。外務省沖縄大使と沖縄防衛局長が14日午前に行った翁長知事への説明でも、胴体着陸を行ったオスプレイは、墜落した機といっしょに訓練を行っていた機ではないと述べているから、そういう意図があるとみていいだろう。

 米具、防衛省は、情報操作をやめて、県民、国民にきちんとした説明をすべきである。

 

オスプレイ墜落 怒りの島、再び

 米軍普天間基地沖縄県宜野湾市)に所属するMV22オスプレイ名護市安部区のリーフに墜落した事故で、市町村議会の抗議決議・意見書が相次いでいる。浦添市議会は14日に、読谷村議会は15日に可決した。さらにきょう16日、名護市議会、石垣市議会、嘉手納町議会、西原町議会、南風原町議会、宜野座村議会、恩納村議会、今帰仁村議会が続いた。
 宜野座村議会は、「オスプレイの即時撤去を求める抗議決議」および「オスプレイのつり下げ訓練と夜間飛行に伴う騒音被害に対する抗議決議」を可決した(全会一致)。
宜野座村は日常的にオスプレイに悩まされ続けてきた。今回のオスプレイ墜落の直前も数日間、夜も昼もオスプレイがつりさげ訓練をおこない、「村民に騒音被害を与え、恐怖と不安に陥れたことは、戦場さながら」の状況だったという。そういうなかで、とうとう墜落事故を起こしてしまった。
 名護市議会が可決した意見書名は、「MV22オスプレイ墜落に抗議する意見書」である。
 「墜落現場は、名護市安部区集落付近の海岸から80㍍の浅瀬で、事故当時イザリ漁をしていた市民もいた。一歩間違えれば人命にかかわる大惨事になりかねない重大な事故である」と述べている。
 意見書はさらに、「これまでの我々(名護市議会)の訴えに一切耳を傾けず、(オスプレイを)強行配備し、その後も本市上空での飛行訓練が頻繁に行われ、飛行経路となっている集落及び着陸帯に隣接する地域住民を不安に陥れている中で、このような墜落事故が発生したことは、日米両政府の責任は極めて重大である」と抗議し、①MV22オスプレイの配備を直ちに撤回すること②同型機配備を行う辺野古新基地の建設を直ちに中止・撤回すること―を要求している。
 米軍嘉手納基地を抱える嘉手納町議会は、米軍が民間地域を避けて海上に不時着させたとしてパイロットの判断を称賛していることを強く批判し、「欠陥機として危険性が指摘され、配備反対を強く訴えてきたオスプレイが現実に県内で事故を起こした」と真っ向から抗議している。
 米軍は、これまでにも墜落事故の際、死者が出なかったのはパイロットの腕が優秀だからだなどとうそぶくことがしばしばあったという。重大事故を起こしておきながら、米軍に感謝せよという態度に、占領者意識丸出しととらえる県民は少なくない。 
 西原町議会の決議(全会一致)は、「県民の暮らしと生命財産を全く顧みない軍事優先の米軍・米国に激しい憤りを覚える」とし、辺野古新基地や高江ヘリパッド建設に見られる日本政府の沖縄への基地の集中・固定化も批判した。
 オスプレイの即時撤去、在沖米軍基地の整理縮小・海兵隊の撤去を求めた決議もあった。

 沖縄は再び、「怒りの島」になりつつある。そのなかで県議会の決議がどうなるか注目される。
 県議会は14日に当初、開会予定がなかった米軍基地関係特別委員会が夕方、開催された。県議会としても墜落事故についてなんらかの対応をしなければと、各委員の間で話が進んだらしい。県基地対策課長が主に事件の概要と県の対応について説明、米側は「不時着」という言葉を使っているが、県としては大破しているなどの状況から墜落という認識だとの考えを述べた。捜査権は日本側にはないのかという質問やニコルソン4軍調整官の発言について事実関係の確認を求める質問もあった。質疑の中で事件の重大性がさまざまな角度から深められていった中で、本会で抗議決議を上げるべきだとの提案があった。これにたいして与党各会派は賛意を示したが、自民党委員は持ち帰り検討したいとした。

 その翌15日、自民党県連会長は、稲田防衛相らと面談し、原因究明までのオスプレイの飛行停止、オスプレイの県外への分散配備を米政府に働きかけるように要請したというから、まったく対応しないわけではないようだ。どの線までなら県議会与党の主張をのめるか、東京に行って感触をつかみたかったのだろうか。自民党県連は、県議選後、県議会の会派名を「自民党・おきなわ」にした。つけくわえた「おきなわ」にふさわしく、オスプレイ墜落に対する抗議決議に名を連ねられるか、ここも注目点である。

渡嘉敷健教授が明らかにした高江のN4供用による騒音状況

  •  琉球大学工学部の渡嘉敷健准教授が8日、県庁で東村高江へリ着陸帯におけるN4供用開始後の米軍機騒音の状況と氏の考察を発表した。
     高江住民らが着陸帯建設工事の差し止めを求めて那覇地裁に訴えていたが、地裁は暫定的な判断という性格をもつ仮処分申請に対して却下の判断をした。その理由は、被害者の被害を十分に立証する証拠が得られていないということだった。
     高江の騒音測定調査は現在2種類ある。一つは、防衛局が行っているもので、測定地点は、N4から約1・5キロ地点の牛道局での測定である。しかも提出されたデータは、1日の騒音の平均値である。これは被害実態を明らかにするうえで不十分であり、環境基準を満たしているという主張を導くための操作をおこなったものとみることができる。もう一つの測定は、渡嘉敷氏がおこなっているものである。
     渡嘉敷氏は、裁判所に意見書を提出し、高江の騒音の被害状況データを提出した。その立場から、「今年6月のオスプレイの訓練が激しかった今年6月の1カ月の測定データを出している。裁判所はそこを見ていないのではないか」と、裁判所の判断に疑問を呈した。そのため、「裁判所に意見書を出したときは、その内容を公開しにくかったが、こういうことが出たのでメディアのみなさんにも内容をお伝えしたいと思い、公表の場を持ちました」と発言された。

 以下、そのとき渡嘉敷氏が配布したペーパーの一部を紹介する。

1 北部訓練場周辺地域における騒音被害の状況
北部訓練場周辺地域において騒音測定を実施するに至った経緯
 本測定は、東村高江住民の要望があり、高江集落に近い N4着陸帯にオスプレイ他のヘリコプターの運用が開始されたことで騒音が激化している事を騒音レベルで、確認することを目的としてN4着陸帯から約647m 離れた安次嶺宅庭先 (以下測定点 1とする)に置かれたバスの屋根に三脚に騒音計マイクロホンを全天候型風防に設置(地上約 4m) して騒音及び低周波音測定を開始した。
 その後、東村教育委員会の要請(平成 27 年 11 月)で東村高江小中学校の構内外部手洗いの屋上(以下測定点 2とする)に三脚に騒音計マイクロホンを全天候型風防に設置(地上約 4m) して騒音及び低周波音測定を開始した。その後、N4 着陸帯から約571m 離れたブロッコリーハウスコンテナー屋上(以下測定点 3とする )に高江住民の会の要請(平成 27 年 12 月から平成 28 年 2月)で、三脚に騒音計マイクロホンを全天候型風防に設置(地上約 3.5m) して騒音及び低周波音測定を開始した。現在は、同じ場所において精密騒音測定器に変えて現在も測定を継続して行っている。

3 測定地点の選定
測定点 1  N4着陸帯から騒音測定場所安次嶺宅まで:647 .1 9m
測定点2  N4 着陸帯から測定点高江小中学校まで1.69km
測定点3  東村高江ブロッコリーノ入ウス測定場所 :N4着陸帯からの距離 571.73m

3.1 騒音レベル
 マイクロホン設置場所は、平坦な地面上等とし、高さは1. 2m~ 1. 5mとされているが、今回の測定においては低周波音測定において建物による反射、遮音の影響が少ない地点を選定し、構造物場の上に設置したため、測定点 1では地上約 4m、測定点 2では地上約 4m、測定点 3では地上約 3.5m とした。
 受音面を上向きに設置し、測定点 1では周りの建物から約3m離れておいた。測定点2では測定点が回り半径約 10m最も高い場所に設置し、建物による反射、遮音の影響が少ない地点を選定した。測定点 3では N4着陸帯方向に樹木が約 2mに接近しているがそれ以外の方向は周りより最も高い場所に設置し、建物による反射、遮音の影響が少ない地点を選定した。

3.2 低周波音レベル
 屋外の測定点の選定にあたっては、暗騒音レベノレが高くて対象となる低周波音が精度良く測定できない場所や建物や地形による音の反射、遮蔽、回析によりごく局所的に音圧レベルが変化するような場所は避けた。
 マイクロホンの高さは、3. 1騒音レベルと同じである。
 風の影響とマイクロホンの保護のためすべての測定において風雑音減少効果の高い全天候型防風スクリーンを使用した。

防衛局東村高江牛道局と東村高江ブロッコリーハワスでの Lden の比較
考察
 2016 年 6月一月の東村高江ブロッコリーハウス ( 表 3) の Lden を計算した結果は、 64 . 1dB になった。防衛局東村高江牛道局(表 2) の Lden は 53 . 8dBと報告されている。 それを表 3に示した東村高江ブロッコリーハウスの Lden比較を行った。
 ここで、航空機騒音評価から地域類型については次の様に示されている。
地域類型 1: WECPNL70 以下→Lden 57 以下、地域類型 II : WE CPNL 75 以下→Lden 62 以下である。防衛省は、住宅防音工事の対象を第1種区域法( 4条) WECPNL75 以上としている。今回の調査において、Lden : 64.1dBはWECPNLに換算するとWECPNL77 . 1となる。つまり、定点3のブロッコリーハウスのある高江地区は、WE CPNL75を超えていることから、第一種区域の防音工事対象エリアであると考えられる。つまり、実測調査を行った、高江ブロッコリーハウスでの騒音測定結果から計算で得た、Lden=64. 1 dB は、 WECPNL= 77 . 1dBとなる。牛道局より10 dB 以上も大きな値であることから、政府が言う環境基準値を満足していると言う説明はまだ早すぎると考える。測定箇所をもっと増やし更に測定を継続調査する必要があると考える。

7 まとめ
 北部訓練場ヘリコプター着陸帯移設事業(仮称)環境影響評価図書の中のヘリコプター騒音 ( 単発騒音暴露レベル)予測コンターと現地実測調査データとの比較では、予測値より大きな値が測定されている。また、ヘリコプター低周波音の予測値と現地実測調査データとの比較でも参照値の閾値より大きく上回る値が測定されている。さらに、政府が、国会で言う環境基準値を満足していると言う説明に反して、現地実測調査データとの比較でも訓練が激しいと住民から指摘があった平成 28 年 6月一か月の Lden が防衛局が測定した牛道局 53 . 8dB より10dB 以上大きな値の 64.1dB と計算された。ここで、Ldenが大きくなった理由を説明すると次の様になる。
1.測定場所が N-4 着陸帯に近いこと。
2. 測定点上空でも航空機が飛行訓練しているため騒音レベルが大きな値であること。
3. 訓練が夕方や夜間にも多く行われていること。
 つまり、3の訓練が夕方や夜間に行われることで、時間帯補正の夕方+5dB 、夜間+10 dB となるためLden が大きな値になると言う事になる。政府が言う環境基準を満足していると言うからには、夕方や夜間の訓練は行わないことを明確に米側に要求する必要があると考える。

 本来ならデータを含むすべてを掲載すべきだが、データのアップが困難であったことから省いてしまったことをお詫びしたい。

ヘリパッドと翁長知事の真意(2)

 翁長知事は、次のように説明した。

 去る11月28日に行われた知事就任2周年合同インタビューでの私の発言について、一部のマスコミにおいてヘリパッド容認、公約違反であるとの報道がされました。このことは、私の真意とは大きくかけ離れており、本意ではありませんので、私の考えを正確にお伝えしたいと思います。
 まず、強調しておきたいのは、私は「建白書の精神に基づき、普天間基地の閉鎖・撤去、辺野古新基地の建設・オスプレイの配備に反対」を公約に掲げており、オスプレイが使用するヘリコプター着陸帯については、一度も容認と発言したことはありません。
 私は、先のインタビューにおいて、北部訓練場なども苦渋の選択の最たるものと申し上げました。
 SACO合意の着実な実施において、北部訓練場の約4千ヘクタールの返還について異議を唱えることはなかなか難しいということ、一方で、北部訓練場はSACO合意には含まれていなかったオスプレイが環境影響評価を行うこともなく飛び、交っていること、さらには、ヘリコプター着陸帯の工事については、政府はことある毎に、地元に丁寧に説明するとしていますが、自衛隊ヘリコプターの投入や工事期間の一方的な短縮を行うなど、その実態はかけ離れたものとなっており、そのような政府の姿勢は到底容認できるものではありません。
 そのような狭間で県政を担う状況を「苦渋の選択」と申し上げたところであり、決して容認したわけではありません。
 私は、2年前の知事選挙で辺野古に新基地を造らせないこと、オスプレイ配備に反対することを公約に掲げ、信念をもって取り組んでおります。
 今後も、辺野古に新基地を造らせないことを県政の柱とし、県の有するあらゆる手法を用いて取り組むとともに、普天間飛行場の5年以内運用停止等の実現、また、オスプレイの県外配備の実現に向けて取り組んでまいります。
 それによって東村高江周辺のヘリコプター着陸帯の存在価値は失われ、この問題は収れんされていくものと考えております。
 引き続き、「建白書の精神に基づき、普天間基地の閉鎖・撤去、辺野古新基地の建設・オスプレイの配備に反対」との公約の実現に向けて取り組んでまいります。県民の皆様の御理解をよろしくお願い申し上げます。
 返還式典については、現時点で案内はありませんので、言及することは差し控えたいと思います。

 

 以上が、「知事ぶら」にあたって発言した全文である。要点は、これで言い尽腐れており、十二分に意をくむことができると思われる。

 知事と記者団との一問一答から若干抜き書きする。


 ・「苦渋の選択はつらい気持ちで何かを選ぶという表現だが」との問いに
 (知事)政府はじめ本土の方々に沖縄の基地問題がすっきりと「こうだから」ということではないという言葉として伝えたかったということもある。先ほど申し上げた異議を唱えるものではないということと、容認できないことを一緒に選択することが厳しい状況にあると申し上げたわけで、そこで誤解があったのではないかと思っている。


 ・「ヘリパッドを容認できないということも取り下げたわけではないと理解するが、従来から行っている反対という考えで変わりないか」との問いに
 (知事)沖縄の基地はA基地、B基地、C基地…といろいろあり、経緯を含め現状等も違う。すべてが整合性を持って横一線にできるというものではない。ヘリパッドの件については容認できないと私なりの判断をしている。

 

 ・「オスプレイが使う限りヘリパッド建設反対だとはっきり言うと分かりやすい」との問いに
 (知事)私は新辺野古基地は絶対に造らせない、オスプレイは配備撤回させるということを一番の眼目に、政治生命を懸けながら実現することだと思っている。その中から、明確にあのヘリパッドをオスプレイが飛び交うことが見えてきているので、合わせて解決していくと申し上げている。

 

 安保を無くさない限り、沖縄の基地問題の根本的解決はないという主張は、うるまの女性殺害事件以降、耳にする機会は多少増えた。とはいえ、スローガン的な短い言葉だけで、安保によってどう日本国憲法がゆがめられているかまで聞くことは1,2の例外を除いてじっくり聞くことはなかった。そういう議論に触れる場が増えたらと願う。

 しかし、他方で、翁長知事の安全保障にたいする考え方とそれを行政の立場から展開するとどのようになるのかをきちんと把握することも欠かせないだろう。そうでなければ、安倍政権と実際に対峙している県政にたいし、事あるごとに失望してしまうことにならざるを得ないであろうからである。一歩でも半歩でも前に進んでほしい、その思いから、ついつい、県政に無理を押し付けてしまう。


 この間、見聞きした意見の中でもこれは行きすぎではと思ったことの一つに「知事の容認発言を機に権力の弾圧が始まった」というのがあった。安倍政権が図に乗って沖縄に大攻勢をかけ、高江のみならず辺野古の運動まで息の根を止めようとしているという危機意識は、私も感じる。しかし、それを誘発したのが知事発言だという見方にはくみできない。そうであるなら翁長知事の糾弾運動を始めなければならないことになろう。

 

 知事発言の扱われ方で、報道の問題にも目を向ける機会となった。報道の自由は、何にも代えがたい大切なものだ。それだけに報道するた側は、その結果に留意しなければならないのも当然だろう。むろんそのことは言われるまでもないという答えが返ってくるだろう。

 ある新聞は12月3日付で、「与党 知事の苦慮理解」という見出しでこの問題の連載を締めくくった。その社の内情を知る由もなく勝手な想像で申し訳ないが、この記事はまったく別の内容が書かれた後に行われた「知事ぶら」を受けて急ぎ書きなおしたものではないか。この1週間、沖縄はどこへ行くのかと暗澹たる気持ちであった。もしこの想像が部分的にせよ当たっていれば、メディアの読者にたいする誠実さの証ともなろう。

 これまで翁長県政に辛口だった人が、“知事批判ばかりしているときじゃない。それこそ安倍政権の思うつぼだ”と言っていた。週明けから県議会では、代表質問、一般質問と論戦が始まる。自民会派が“手ぐすね引いて”待ち構えている。

ヘリパッドと翁長知事の真意(1)

 昨日(12月2日)、沖縄県の翁長雄志知事は退庁前、メディアが使っている用語「知事ぶら(ぶら下がり)」に応じた。報道各社は、11月28日の就任2周年のインタビューで知事が表現した「苦渋の選択」という言葉は、米軍北部訓練場のヘリパッド(実質的にはオスプレイ専用の着陸帯)建設容認ではなかったのか、知事は不本意な報道がされたと発言しているが真意を聞きたいということであった。知事はなぜ高江のヘリパッドを容認しないというのであれば、反対と言うべきではないのか、という意味も含んでいるのだろう。
 まず確認しておかなければならないのは、知事の考えはこれまでと変わっていないということである。日米政府の月中にはヘリパッドは完成する、返還式は12月22日に行うなどの大攻勢に押されてヘリパッド容認と考えを変えたと決めつけることは、事実に反するということである。知事は態度を変えてはいないが、ちょっとしたニュアンスで態度を変えたと受け取られかねない状況にはあった。
 「ヘリパッド建設は反対であり、受け入れられない」といえばわかりやすくなる。しかし、「建白書」の精神で県政運営にあたる知事とすれば、「オール沖縄」を形づくるさまざまな立場の人々、さまざまな考えの中から最大公約数をすくいとることにたえず腐心し、答えをださなければいけない。参院選伊波洋一さんが大差で勝利したにも関わらず、その直後に建設資材を運び始め、1週間後には抗議テントを撤去し、抗議参加者を排除した。500人と言われる県外機動隊を投入し、業者が基地内で作業できるよう万全の態勢をとった。このことを知事は「過剰警備」と言って強く批判した。さらにオスプレイの運用を想定した環境影響評価がなされていないとして再アセスを求めた。それら全体を「容認できない」と表現したのである。SACO合意に基づく返還の早期実現を求める県の立場からのぎりぎりの態度表明だったはずだ。
 翁長知事は、たびたび“基地問題の解決というのは、一筋縄ではいきませんよ、基地それぞれ歴史的経緯も違うし、現状も違う。だから、解決方法も一つひとつ違う。同じ言葉で表現はできませんよ”と言ってきた。
 辺野古は反対と明言し、高江は反対と明言しない、その違いはどこに由来するのか。知事がいうように歴史的経緯や現状を簡単に押さえてみよう。
 辺野古の場合、翁長知事は新辺野古基地は造らせないと公約に明記し、当選後は、県政運営上の最重点課題と明確に位置付けた。実際に、前知事の埋め立て承認を検証するとして第三者委員会を発足させ、答申を最大限尊重するとしっかり受け止め、埋め立て承認を取り消した。さらに、政府が起こした裁判では、答申を自分の血肉にして県の立場を堂々と主張した。「あらゆる手段を使って新辺野古基地は造らせない」という主張を通し続けることができるのは、世論の後押しである。名護の市民投票で新基地ノーの世論が形成され、さらに新基地建設反対を掲げる稲嶺市長を当選させたことである。これが、その後のオール沖縄県政を造り出した。理論的には、普天間基地辺野古への移設と日米政府はいうが、それがまやかしであり、強襲揚陸艦の出撃拠点となること、弾薬庫もでき、オスプレイも飛ぶ、最新鋭の機能を持つ、普天間基地と比べ格段に強化された基地に生まれ変わる―このことが県民の中である程度の共通認識になりつつあるということも大きな要素になっているだろう。
 では、高江はどうか。
 「高江と辺野古は一体にとらえるべきだ」と指摘する人たちからよく聞くのは、「辺野古ほどには認知されていない」ということだ。東村の村長選では、ヘリパッドに異を唱える候補がわずかに及ばなかった。この民意度の差は大きいだろう。米軍が使っていない部分の返還だから米軍はいろいろ条件を付けずにさっさと返せと県民一丸となって主張する状況には遠い。
 反対と表明していないからと言って容認したと取るのは早計だ。運動する立場と行政の立場と言うこともある。

北部訓練場の一部返還は基地機能強化 米軍側ビデオでもはっきり

 AFN (米軍放送網)は11月21日、北部訓練場返還に関する宣伝ビデオの第2弾をインターネット上で流した(https://twitter.com/usfj_j?lang=ja 第1弾は11月15日公開)。日本語字幕付き。
 ジョエル ・エレンライク在沖米国総領事は、「それ(北部訓練場の一部返還)は同盟国にとって重要です。なぜなら、私たちがここでの影響を減らすことを約束しているからです・・・我々は他の合意において、予定されていたよりも前に早期の土地返還に合意しました。 私たちは KC-130 の運用を離島に移しました。そして他にも多くの土地返還が予定されています。例えば、普天間とキャンプキンザー、そして軍港とキャンプレスターなどの完全返還です。そして、永久的に 10 ,000 人に近い海兵隊員を国外へ移す計画があります」と返還合意のプロセスに言及した後、こういっている。
 「米国と日本を守るために不可欠な能力、訓練そして手続きを維持しながら、引き続き沖縄 の人々への影響を減らそうとし続けることが私たちの二カ国を安全に保ちます」
 キャンプ・ゴンザルベス(北部訓練場)基地司令官のジェームス・ドーロン中佐も次のように語っている。
 「私たちが行っていること、実際に日本政府が着陸地帯に関して行っていることと同じ訓練を今でも実行することができるでしょう。そして、彼らが建設している道路は、私たちが過去に使用することができなかった訓練場をよりよいものへとするでしょう。実際に、私たちの訓練能力は土地返還後も少し向上します」
 ぎこちない日本語で、もう少し「意訳」が必要に思うが、日本政府が行っている着陸帯の建設工事が完成すれば、現在行っている訓練をより向上させることができると評価しており、特に今訓練場内につくっている道路が使い勝手の良い訓練場にしてくれると大歓迎をしている。
 沖縄防衛局はこれまで沖縄県に対し、あくまで工事用の仮設道路だと説明していた。だから伐採しても原状復帰は可能だという理屈であった。オスプレイに積み込む諸資機材(武器弾薬も排除されない)を自動車などで運ぶことも想定されているのかもしれない。
 ドーロン中佐は、こうも言う。「ジャングル戦闘訓練センターは、提携した訓練活動にとって理想的な場所です。その環境は、困難を通して多様な同盟を結集させることができる偉大で困難なトレーニングパッケージを可能にします」。
 これらの発言から北部訓練場の基地機能強化がはっきり浮かびあがる。