県外機動隊への支出に関する住民監査請求陳述会について

 11月22日、沖縄県監査委員による住民監査請求陳述会が県議会棟で開かれた。政府は、高江のヘリパッド工事強行に伴って工事に抗議する市民らを排除するために、東京、大阪などの県警から500人を超える警察官を沖縄に派遣しているが、その機動隊が使う燃料代や修繕費を沖縄県が支出することになっているが、それは、工事が民意に反するものであり、県財政の支出は不当だとして住民監査請求を行っている。
    監査委員は當間秀史氏、鈴木啓子氏、具志堅透氏、嘉陽宗儀氏の4人。請求者代表3人(真喜志好一市、儀保昇氏、北上田毅氏)が陳述をおこなったのち、監査委員の當間氏が請求者に「請求の中に『違法な人格権の侵害を惹起させる』という文言があったが、その意味を教えて頂きたい」と質問。北上田氏は、「N4が運用されてからオスプレイによる被害は深刻だ。6月はとくにひどく、深夜もオスプレイが飛び交い、子どもは眠れず、翌日、体調を崩し、学校にいけないことまで起こっている。今後、さらに4カ所完成し6カ所運用されたら、高江全体が睡眠障害等、人格権が侵害されることは疑いない。そのことを表現した」と説明した。
    嘉陽氏も請求人に対し、「皆さんがヤンバルの自然を守るために頑張っておられることに敬意を表します。ヤンバルは県民皆の水がめでもあります。是非とも、ヘリパッド建設問題にも関連して、水資源のことについても検討していただきたい」と質問した。

    行政側の当事者である公安委員会委員と県警警備部長が陳述をおこなった。
 北上田氏は、「チョイさんの沖縄日記」で次のように記している。
http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/5dec74378473d3b9a55c657a95a2b867


 <沖縄県警、そして公安委員の陳述はひどいものだった。「警察が違法行為を確認しながら放置することはできない」(「それなら違法ダンプトラックを何故、取り締まらないのか!」というヤジが飛んだ)、「警察官が市民らをケガさせたことはない」(ここでもブーイング)、「警察は政府の一方的立場に汲みしていない」(「今、警察がやっていることは、防衛局のガードマンだ!」)、「抗議する人たちが集会を開いているため、道路が通行できなくなっている」(「ウソだろう。我々は、一般車の通行を確保しながら集会を開いている。道路を封鎖しているのは警察だ!」)、「(警察車両と機動隊の列で作った檻に市民らを監禁しているという批判に対して)必要最小限の範囲で安全なところに移動していただいている」などというものだから、傍聴席からは怒りと抗議の声があふれた。>

 県警警備部長は非常に能弁で、事細かに請求人の陳述に反論していたが、県警としては反論しなければならないのに、一言も反論できなかったことがあった。それは、違法ダンプのことである。
 少し長くなるが、北上田氏の指摘を引用する。


<今回のヘリパッド工事で、砕石等を運搬しているダンプトラックの多くが、ダンプ規制法や道路運送車両法に違反していることが大きな問題となった。助手席足元の窓に着色フィルムを貼ったり、過積載につながる「さし枠」の設置、最大積載量表示がない、排気口が横を向いているなどの不正改造=道路運送車両法違反車両、また、ダンプ表示番号未記載のダンプ規制法違反車両等が指摘されてきた。
 現在、政府は「不正改造は犯罪です!」というリーフレットを作成し、「不正改造車を排除する運動」を進めている。警察庁もこの運動の後援団体となっている。
 市民らが違法車両の写真をもって沖縄防衛局陸運事務所に抗議したことにより、沖縄総合事務局も指導に乗り出した。稲田防衛大臣も記者会見で「事業者として、受注者に対し改善するように指示した」と認めざるを得なかった(2016.10.19 琉球新報)。
 これらのダンプトラックは採石場から前後を警察車両に警護されて北部訓練場の工事現場までやってくる(県民はこの車列を「お砂利様行列」と呼ぶ)。我々が「不正改造車だ! 警察はダンプトラックを停めて問題がないかどうか確認せよ」と強く抗議をしても、機動隊員や県警の警察職員らは、抗議する県民を規制するだけで、違法ダンプトラックをそのまま走行させてきた。
 不正改造車については、道路運送車両法第99条の2違反で、同法第108条により6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金。そして番号表示がないダンプ規制法違反については同法第20条で3万円以下の罰金が課せられる。また、不正改造車を運転した場合は道路交通法第62条違反で、同法第119条により3ヶ月以下の懲役又は5万円以下の罰金が科せられる。これらはいずれも重大な「犯罪行為」であり、警察はすぐに取り締まる必要があることはいうまでもない。
 沖縄県公安委員会は、「今回の援助要求は、危険かつ違法な行為に対し、純粋な警察活動の必要性からなされた」と主張する。しかし、現地で警察は抗議する県民を規制するだけであり、一目で不正改造車だと分かる違法ダンプトラックについては全く指導しようともしていない。
 これらの点からも、現地に派遣された警察職員は、違法行為の取り締まりをするのではなく、ヘリパッド工事を円滑に進めるために、抗議する県民を規制するための活動を続けているだけである。>


 これほどまとまった陳述であるから、警備部長が聞き漏らしたわけではない。
    この問題は、稲田防衛相が「是正を指示した」と記者会見で述べたように、工事を続けるうえで無視できない問題だったのである。ところが警察・機動隊は、“悪はわが目の前にあり”であるにもかかわらず、目をつむり続けたのである。これでなぜ、警察法2条に基づき、適正に業務を遂行しているといえるのか。

 今回の陳述会のなかで真喜志氏の、高江で建設される着陸帯はオスプレイ専用であるとする指摘も、きわめて重要だ。そのことについては、機会を改めて整理したい。

20161116在日米軍司令部が流している北部訓練場返還に関する広報番組

 在日米軍司令部は15日から北部訓練場の返還に関するAFN(米軍放送網)のレポートビデオを公式ツイッターで流し始めました。日米政府は、12月20日にも返還式をおこなうことで日程調整をしており、この日は米軍の将校が同訓練場を訪れ、工事の進捗状況の最終確認を行ったとみられます。それでレポートビデオも解禁になったというところでしょう。番組は、総領事のインタビューと女性レポーターが工事現場から中継する二つで構成されています。工事現場の映像は、各種ツイッターでも見られますが、米側の映像資料という意味で注目されるでしょう。
 以下、番組の日本語字幕をひろいました。

 

<北部訓練場の返還に関するAFNのレポートビデオ>
 沖縄北部の密集した熱帯雨林の懸案の返還は、二国間の決定事項の一部です。再編を通じて、重要な任務は維持されるだけでなく、強化されています。

Joel Eherendreichi U.S.Consul General,Naha
(在沖米国総領事館の総領事ジョエル・エレンライク)
NTA(北部訓練場)は別名、ジャングル戦闘訓練センターとしても知られており、何年にもわたって、世界中で私たちが所有していた中でも最高のジャングル戦闘訓練センターだったと言えるでしょう。しかし、年々任務要件が変ると、訓練の必要性も変化します。私たちは、これらの着陸ゾーン、これらのヘリコプターゾーン、オスプレイ着陸ゾーンを統合することが可能です。私たちはもはや他のものを必要としないので、それが私たちがやっていることなのです

協定では交換、必要なエリアを凝縮するための建設が必要であり、返還を可能にします。

女性リポーター
 私は北部訓練場のF航路にいます。私の後方には、土地返還合意の一部である六つのヘリコプターの着陸地帯のうちの一つの建設現場があるのをご覧いただけます。
 それらは現在の施設能力の移転です。そして、それらの建設の即応性を維持し、同盟義務を果たすために重要です。義務は、オスプレイのような鋭敏な航空機の使用を含みます。それは日本だけでなく、環太平洋地域における人道的救助にとっても必要です。

Joel Eherendreichi U.S.Consul General,Naha
 私は、マニラの米国大使館からタクロバン、そして災害地帯へ行った時(2013年11月のフィリピンの台風災害)、初めてオスプレイに乗りました。そのオスプレイは沖縄からやってきました。そして、私たちが見ることができたのは最初の評価チームに続いて、多くのオスプレイ、そして第三海兵遠征旅団全体と、後に第三海兵遠征軍がやってきたのです。数十万とは言わないまでも、何万人の命が救われ回復したのは、オスプレイを含んだトレーニングを沖縄で行うことができたおかげです。
 私はこれまで直接、何て肯定的なことが起きるのか、またオスプレイが何万人の命をどのように救ってきたのか見てきました。私は、きょう再び、この機会を得ることができて興奮しています。
 北部訓練場からのレポートについてゾイ スタグがお伝えしました。

沖縄北方担当相の「土人発言は差別とは断じれない」との答弁について

 鶴保庸介内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方担当)が、8日の参院内閣委員会で「土人発言」に関して「差別であると断じることは到底できない」と答弁したが、5日たってもいまだこの認識を変えていない。
 今回の問題発言は沖縄県民にたいして発せられ、傷つけられたが、その痛みを理解するには、沖縄の歴史を知るところから始まるだろう。しかし、沖縄及び北海道を担当する大臣としては北海道の歴史も学ばなければならない。
 北海道の開拓史は、アイヌ民族同化政策抜きには語れない。土地を奪い、言語を奪い、文化を奪った歴史のことである。その法的表現が「旧土人保護法」ではなかったか。
 だから、北海道の心ある人々は、アイヌの歴史を、民衆史の中に位置づけて調査・研究を行っていた。たとえば、「オホーツク民衆史講座」の人々は、囚人労働、中国人・朝鮮人の強制連行とともにアイヌの歴史の掘り起こしに取り組んでいた。中央(東京)中心の歴史観ではなく、地域から見た歴史観を構築しようと。これらの人々に対する抑圧と差別、こうしたものにたいする厳しい見方をされていた。
 鶴保大臣は、まだ就任して日が浅いので沖縄や北海道の歴史をご存じないのかとも考えるが、それは善意の誤解ということかもしれない。法務大臣は、土人という言葉は差別用語にあたるとし、許すまじき発言と答えている(10月25日参院内閣委員会)。官僚が用意した答弁だろう。だから鶴保大臣は、あえて「差別であると断じることはできない」と答えたに違いない。
 前の沖縄・北方担当大臣もひどかったが、新しい大臣も先が思いやられる。

 

注:[旧]北海道旧土人保護法について
北海道庁アイヌ政策室HPから)
 日本国民への同化が目的政府は明治32年に「北海道旧土人保護法」を制定しました。これは、アイヌの人たちを日本国民に同化させることを目的に、土地を付与して農業を奨励することをはじめ、医療、生活扶助、教育などの保護対策をおこなうものでした。
しかし、和人の移住者に大量の土地を配分したあとで、新たに付与する良好な土地は少なく、付与された土地もその多くは、開墾できずに没収されたり、戦後の農地改革では他人に貸していた土地が強制買収されたりしました。
 また、その他の対策も必ずしも成果は上げられませんでした。
 法律は下記のように、漢字にカタカナの混じった文ですが、戦後も法律として効力をもち続けました。
 このうち、実際に機能していたのは、付与された土地を他人に譲渡する際に知事の許可を必要としたことと、共有財産を知事が管理することの規定のみでした。(共有財産とは、明治時代の漁場経営の収益金や宮内省からの教育資金としての御下賜金などの残りを積み立てていたものです。)
 また、昭和9年に制定され、旭川市における土地の処分について定めた「旭川市旧土人保護地処分法」も、土地の譲渡について旧土人保護法の規定を準用することを定めたことだけが機能していました。
 この二つの法律は、平成9年7月新法の施行に伴い廃止されました。

翁長知事。あのことば、辺野古だけでなく泡瀬でも言ってほしかった

 きょう11月8日、福岡高裁那覇支部で第2次泡瀬干潟埋め立て訴訟控訴審判決があった。裁くのは、辺野古訴訟で「独創的な理屈を作り出して」沖縄県を敗訴にした裁判長である。法廷に姿を現した裁判長を見てため息が漏れてきたが、その予想は、残念ながら当たった。
 原告団長の前川盛治さんは、「判決文は、『サンゴ類や藻場について、周辺にはかなりの分布域が残るし・・・鳥類、海生生物、干潟生態系の生息環境は相当程度保全される』と言っている。これにはびっくりだ。アセスでサンゴが見逃されているのを我々が指摘した。そのサンゴは保全できなかった。渡り鳥のムナグロ(チドリ科)は2000~3000羽来ていたが、200羽くらいに激減した。トカゲヘビも復活していない。そういう事実を無視したひどい判決だ」と怒りが収まらない。
 環境を担当した喜多自然弁護士は「泡瀬干潟の価値が把握されていない」と一刀両断。さらに、環境は十分に保全されていると判示しているが、生息地保全の原則がまったく理解されておらず、国際ルールに反する判断だと厳しく指摘した。
 原田彰好弁護団長は、行政の裁量権について裁判長がどのような考えを持っているかを最大のポイントと見たようである。「広範囲の裁量権が前提になって判断しており、それに基づいて個別要件を検討している」「行政はオールマイティーという感じでとらえているように思える」。原田弁護団長は、これにたいし、「日本の行政裁判の流れは、裁量の幅に司法判断を加えていくということがある」とのべ、この流れに反する裁判長の考え方であると指摘する。


 新垣勉弁護士は、多見谷裁判長の解釈する「裁量権」について詳細に分析し、その誤りの根源を指摘している。
 「裁判長は、仲井真知事が行った埋め立て承認は、裁量権の範囲を超えていないから違法ではないから、翁長知事は取り消しはできない、という理屈で県の主張を葬り去ってしまった」
 「なんのために法律が、あるいは法理が知事に取り消し権を与えたのかという、そもそもの取り消し権の本質をどのように考えたかというところに最終的には行きつく。行政権というのは、市民・国民から与えられている権利ですから、与えられている権利は、市民や国民のために使うように義務付けられている。だから前の知事がおこなった判断が相当でないと思った時には、市民のためになるように相当と思う判断に切り替える権利、義務があるわけです。取り消し権、行政権の本質をどう理解するかによって、今行った裁量権の行使の問題が決まる」
 つまり、市民のために行政権を行使することに由来する裁量権だということだ。それゆえ、行政の以前の判断に誤りもしくは不当な点があれば見直す裁量権が行政の長に与えられていると規定するのである。であれば、裁量権があるといっても無限定ではなく、市民の意見には真摯に耳を傾けるべきであり、司法の場では、著しく違法な点がなければ裁判所は介入しないなどということではなく、法の正義の実現の観点から判断を加えることもあるだろう。


 裁量権に対する見識のなさによって何が導かれるか。行政追認である。
 判決は、「長らく米軍基地に依存する経済基盤を有してきた沖縄市が・・・基地依存経済からの脱却及び中部圏の経済活性化を図る・・・目的で実施される事業であり」、長年にわたって多角的に検討が積み重ねられてきた計画だとも評価している。

 こういう判決の評価に対し、経済予測の甘さが指摘され、それゆえ失敗の恐れが多分にある「ハコモノ」開発と厳しく批判されてきたことは不問に付しており、問題であるとの批判が上がった。また、その活性化策が直ちに埋め立てとなることに論理の飛躍があるという指摘もなされた。
 「最終的には、これらの利益・不利益が帰属する住民が、地方選挙を通じて判断すべきものである」とも判決は言っているが、失笑するばかりである。

 辺野古訴訟では、民意を一切顧みず、「辺野古が唯一」という安倍政権の言葉をそのまま判決文に書いた裁判長が、泡瀬裁判では「地方選挙で」というのである。この裁判長は、ここまで精神の堕落を起こしているのである。
 「帰りの駄賃」という言葉がある。空爆を行った爆撃機が帰還するとき、万一に備えて残った爆弾をそこらにばらまいて帰ることを言った。この裁判長、辺野古訴訟のために沖縄にきたが、役目を終えて年度内にも本土へ帰っていくとうわさされている。それが本当なら、住民敗訴は、「帰りの駄賃」か。
 それにつけても翁長知事。あのことばを、辺野古だけでなく泡瀬でも言ってほしかった。
 「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー」

辺野古裁判の今後―新垣勉弁護士の講演から

 仲山弁護士に続いて新垣弁護士の講演要旨を。


<新垣弁護士の講演の概要>
 福岡高裁判決を聞いて、やっぱし、そうだったのか、落胆はしないけれども、日本の司法はこうだったのかと思った方がたくさんいらっしゃると思う。でもわたしがきょう皆さんにお伝えしたいことは、今の司法の現状がいかに保守的であっても知事の主張に法律的に見ても理がある。このことをみなさんといっしょに確信を深めてまいりたいと思います。なにも私が翁長知事サイドの立場にあるからこういうのではありません。弁護士として本当にそう思う。
昨年9月、知事、副知事と意見交換したことがある。知事は、どうしてマスコミは裁判の勝敗にこだわるのかね、もっと広い目で埋め立て承認を取り消すかどうかという決断の意味を考えてくれないのかねという話をしました。まだ、そのときは取り消しをしていないときでしたが。私たちもそうだと言いました。私は、その日の帰り、ある歴史学者を訪ね、歴史学者で社会的な学問を研究する先生方が裁判という狭い土俵で見るのではなくて、もっと広い目で知事の決断、知事に迫る決断を、論陣を張ってもらえないでしょうかとお願いをしました。先生もそうだと言いました。これまでの翁長知事の行動を見て、翁長知事がますます私たち県民の心をつかまえて、どっしりと地に根を下ろして、行政を運営しているということを感じていませんか。
 知事選前、政策協定を結ぶ段階で、知事は、あるいは知事を支援する幹部の皆さん方は、埋め立て承認の取り消しを政策協定にいれることを躊躇しました。その時に知事は顧問弁護士からいろいろ意見を聞いて、ちょっとむつかしいと思っていたかもしれない。私たちは候補者として選んだ翁長氏と面談をして、法律的に大丈夫だ、知事に当選したあかつきにはぜひやってほしいとお願いをしました。その時から比べますと、翁長知事は、自分がおこなった埋め立て承認取り消しに自信をもっていることを、最近、感じます。
 そうは言っても、みなさんは裁判の勝ち負けに関心があると思います。福岡高裁で負けたことは事実です。でも、日本の裁判所をそう馬鹿にしてはいけないと思います。最高裁判所は歴史的にみると、確かに支配層、権力を押さえている部署であることは間違いありません。でもそこで選ばれてきた15名の裁判官は、法律家としてそれなりに鍛えられた人です。なまじっかな理屈で首を振るような人ではありません。私は法律家として、最高裁に期待をしています。最高裁で、福岡高裁判決の矛盾を明らかにして結論をひっくり返す可能性は大きいと思います。
 みなさん、私たちはどんなに自分に自信があると思っても、時には間違いを起こします。間違いを起こしたときに、しまったと、きのう決断したことを間違っていたと思うときには、いつでも自分の決断を変えることができます。これが自主性です。人間の持っている自主性。それと同じように権力を持っている行政の長も、できるだけ間違えないように行政をやりますけれども、時として誤った決断をすることがあります。行政というのは、自分が過去にやったことであっても、それが間違っていると思ったときには、直せるのが行政なんです。
 なぜか。それは、行政権力は、県民から権力を委譲されて、県民のために権力を使うように義務付けられているからです。ですから知事であれ総理大臣であれ、行政権を握っているものは、自分の過去の判断が誤っていると思った時には、それを直す権限を本来持っていなければなりません。これが人間の自主性でもありますし、民主主義社会における国民主権地方主権です。ところが今回の福岡高裁判決は、面白い理屈を作り上げました。どんな理屈かというと、いったん決断したことを後でひっくり返す場合には、前の決断が違法な場合にだけしかひっくり返せない、こういうふうに言い切りました。ということはどういうことか。前の決断は違法ではないけれども不当である、こういう場合には、もう決断はひっくり返せませんよというのが高裁の考え方なんです。なぜ違法な場合にだけひっくり返せて、前の判断が不当であると考えられるときにひっくり返せないのか。みなさん、理由をききたくなりますでしょ。でも判決のどこを読んでもその理由は書いてありません。ここが福岡高裁の最大の弱点です。これは私だけがそう思うのかというと違います。行政法学者のほとんどはそうです。いままでの行政法の通説は、前におこなった承認が違法の場合にも取り消せる。違法でなくとも不当と思った時にも取り消せる、見直せる。これが行政法学会の通説です。ですから福岡高裁判決は行政法の通説に真っ向から反する新しい解釈を持ち出しました。最高裁がこれまで判例をたくさんつくってきました。最高裁判例は、前の処分を取り消せる場合は、違法な場合だけでなくて、不当の場合にも行政長は前の判断を見直したり、取り消すことができるという判例を戦後ずっと積み重ねてきました。ですから今回の福岡高裁判決は、最高裁のこれまでの考え方にも真正面から反抗しました。つまり福岡高裁判決の特異性は、行政法の通説にも反対する、これまで最高裁が積み上げてきた考え方にも反対するという、新しい独自の考え方を打ち出して県を負かした。
 この裁判長は、この裁判が起きる直前に最高裁の人事配置で赴任してきました。政治的判断をするためにこの裁判長を配転したのではないか。
 前任地は千葉、名古屋で裁判をしていますので、仲間に聞いたが評判は割れました。名古屋では、労働事件でまともに聞いてくれるということだった。しかし、千葉では、あんな強権的な裁判官はいないと批判していた。とまどいました。そしてあの判決です。
最近、一票の格差訴訟で、同じ裁判官が判断しました。合憲状態だという判断をしました。全国の高裁で一票の格差裁判が争われていますが、9つの高等裁判所違憲状態だと判断しました。5つの高裁で合憲状態だと判断しました。つまり福岡高裁那覇支部の裁判長の考え方は、基本的に保守的な性格を持っているということがよくわかります。保守的だったらいいけれども、どうも上を見る性格ではないのかなというふうに思います。高等裁判所、全国にいくつかありますけど、一番権威があると言われている東京高裁は違憲状態と判断しました。
 私たちは、翁長知事が仲井真知事の埋め立て承認を取り消せるのは、違法な場合だけじゃなくて、不当な場合も取り消せる、これが県の主張の基本でした。ところが、新しい理屈を生み出して、不当な場合は取り消せない、違法な場合だけしか取り消せないと、まず高裁は前提を自分で作ってしまう。そうするとどういうふうになるかというのは、本質的にはっきりします。つまり埋め立てをするかしないかは、法律で要件を定めているけれども、その要件の範囲内であれば、裁量権があるというのが、埋め立て法の基本的な性格です。裁量権がある。だから今回の判決は、仲井真さんは埋め立てをするかしないか裁量権を持っていた。その裁量権の範囲内で埋め立てを認めているんだから、その中身が不当であっても違法ではない。持っている裁量権の範囲を超えれば違法になるけれども、持っている裁量権の範囲なかでここで判断しようか、違う別のところで判断しようか、それは知事の裁量の範囲なんだから、不当ではあっても違法ではない、そういう理屈なんです。だから今回の判決は、仲井真知事が行った埋め立て承認は、裁量権の範囲を超えていないから違法ではないから、翁長知事は取り消しはできない、という理屈で県の主張を葬り去ってしまった。これには行政法の学者もみんなびっくりしました。
 前の最高裁の判決でも違法または不当の場合にも取り消せるという前提で最高裁の判断が示されているというのに、どうしてそれに従わないで、まったく新しい理屈をこの裁判長が作り上げる。説明がつかない。これが福岡高裁の最大の弱点です。
 判決を支える二つ目の論理は、仲井真知事が埋め立て承認をするときには裁量権があり、翁長知事が見直して取り消しをする時には同じ知事であるのに裁量権はありませんという理屈を考えた。なんで同じ沖縄県の知事なのに、埋め立て承認をするときには裁量権があり、取り消しをするときにはまったく裁量権がないということになる。これも判決の中ではまったく説明していません。
 同じ沖縄県知事、仲井真さんから翁長さんにかわったけれども、同じ沖縄県の知事なんだから、前に裁量権があれば、取り消しの時にも裁量権を持っていると考えるのが自然だというのが行政法の考え方です。もし前の知事と同じように翁長知事が裁量権を持っているというふうになりますと、どういうことになるかといいますと、取り消しを考えるときに、いろんな事情を考慮して裁量ができれば、仲井真知事は裁量の範囲内で一番左を選んだけれども、自分は最良の範囲内で一番右側が妥当だと思う時には、裁量権の行使で前の判断をひっくり返すことができる。つまり前の仲井真知事の裁量判断は違法ではないけれども不当だと思った時には、妥当と思うところに切り替えることができる。ところが今回の福岡高裁は、仲井真知事は裁量権を持っていたけれど、翁長知事は裁量権がないと考えたものですから、前の知事がおこなった判断が当か不当の判断をするまでもない、というふうになっちゃった。これもおかしい。
 なんのために法律が、あるいは法理が知事に取り消し権を与えたのかという、そもそもの取り消し権の本質をどのように考えたかというところに最終的には行きつく。行政権というのは、市民・国民から与えられている権利ですから、与えられている権利は、市民や国民のために使うように義務付けられている。だから前の知事がおこなった判断が相当でないと思った時には、市民のためになるように相当と思う判断に切り替える権利、義務があるわけです。取り消し権、行政権の本質をどう理解するかによって、今行った裁量権の行使の問題が決まる。ここもおそらく最高裁で新しい判断が出ると思います。
 この二つが、法律家として最高裁で福岡高裁判決をひっくり返す二つのキーポイントになると思います。
 それからもう一つ。三点目。埋め立ての必要性についての面白い理屈があります。翁長知事は取り消すときに、普天間の危険性の除去は分かった。でも、なんで辺野古なの。説明がないじゃないのということを理由にあげました。これは県民が心から感じている疑問点です。
 福岡高裁は、どんな理屈を行ったかといいますと、知事は確かに辺野古に基地をつくるかどうかについては、一定の範囲内で判断することができますよ。一応県の顔を立てたんです。ところが、ただしということで、次の理屈を生み出しました。辺野古に基地を造るかどうかというのは、国が決めることだ。国がいったん決めた以上は、合理的だと考えるのが筋でしょ、と。担当している国がいろんな人の意見を聞いて、辺野古が必要だと思った。いったん国が決めたことは、理由がある、正当性があると考えるのが筋でしょ、と。特別に不都合があるというときにだけ裁判所は、審査ができるんです。そうでない限りは、知事は、国が辺野古は必要だといった以上は、辺野古が必要だということを前提にして、埋め立てを判断しなさいよという理屈をつくりました。建前は県が判断できるけれども、国策に関する重要な決定事項だから、例外的な、特別に不都合がない限り、それを尊重しなさいという理屈をつくって、辺野古の埋め立ての必要性を認めてしまう。これが三つ目。これは明らかに、国の立場に立った論理です。国と地方自治体が対等の立場だということであれば、知事は、平等の立場で審査する権限を持っていなければなりません。そして公有水面埋立法は、実は、それを認めている法律なんです。この点でも、福岡高裁判決は、建前上は知事の対等性を認めながら、実質判断のところで、国の決定を優先させる論理を作り上げている。ここに国偏向と批判を受ける問題点があります。これが三つ目の弱点です。
 私の話をまとめますと、翁長知事は、仲井真知事の判断が違法でなくとも、不当な場合には取り消せる。そして辺野古の埋め立てが必要かどうかについても対等の立場で審査ができる。これが原則でないといけない。しかし例外的にできない場合があります。これまで最高裁が築いてきた論理なんですが、取り消しをしなければいけないほどの必要性、公共性がなければいけませんよというのが、最後の取り消しを認めるハードルなんです。分かりやすく言うと、今後、沖縄のために、仲井真知事の埋め立てを認めていた方が沖縄のためになるのか、いや、あれは間違っていた、不当だから取り消して、新基地を造らせない、そして埋め立てをさせないということを、であれば、という場合だ。もうこれ以上基地を造らせないことが将来の沖縄のためになる、これを比較して県民のためになるのはどちらか、ここが最後のハードルになります。
 私たちは、沖縄の戦後の歴史を見てきていますので、もうこれ以上、基地を造らせないことが沖縄の将来のためになると思います。ほとんどの人がそう思っています。ところが県民の中には、いや、辺野古を埋め立て新基地を造らせれば、嘉手納より南、キャンプ瑞慶覧までの基地は返ってくるんだから、そっちの方が得だと思っている人もいます。これは価値判断。どっちが県民の将来のためになるかはかりにかけているんです。ここが、沖縄のことをどれだけ知っているかによって、はかりが動きます。
 私は、最高裁で先ほど言った論点ついては、勝てると思います。最後のはかり、これは分からないです。なぜなら、東京に住んでいる人たちに沖縄の歴史と実情をどれだけ伝えきれているのかなという不安があります。沖縄の歴史と現状を知らないと、はかりが右にも左にも動きます。この点が、私は最高裁で、翁長知事の取り消しを認めさせる最後の重要なポイントだと思います。そのためになにが必要になるか。
 私たちは大衆的な裁判闘争のときに言っていますけれども、裁判は法廷の中だけでたたかうものではない。はない。法廷の外で、どれだけ広い国民の支持を集めることができるかどうかが、実は、裁判の勝敗を決める大きなキーワードになる事件がある。日本の戦後の裁判の中で、たくさんそういう事件がありました。地裁、高裁まで有罪と言われてしけ判決を受けた被告が最高裁でひっくり返す。砂川事件松川事件。戦後代表的な事件、あるいは冤罪事件、たくさんありましたけれども、国民の運動の広がりの中で新しい証拠が出た、新しい世論が形成され、それ影響を与えて最高裁の判断をひっくり返すことがいくつも体験してきました。
 今回の埋め立て取り消しは、まさにそういう事件だと考えなければいけない。
私が知事にやってほしいのは、全国的なキャンペーン運動を沖縄県は率先してやるべきだ。特に東京に焦点を合わせて、いかに新基地建設が沖縄の未来にとって害あるものであるかということを知らせるという国民的な運動が、私は勝敗のカギを握っていると思います。

 問い:取り消しと撤回の違いは?
 答え:取り消しは過去にやったことにミスがあった時。過去にやったことにミスはないがその後の事情に変化があった時は撤回。理由の違いです。どんな法律でも力関係で使われ方が違います。正しく法律を作ること、正しく法律を使わせること。翁長さんは、だんだん自信をもってガジュマルのように地にしっかり根を持った知事になりつつある。これは一番強い。国から見ればこいつはどんなことをやってもたたきつぶせないとなる。これは国にとって怖いことだ。住民と行政権が結びついているところに特徴がある。復帰闘争の時もそうだった。市民の運動と行政が結びついたとき、どれほど強いか。大同団結できるのが沖縄のいいところ。その体験を私たちは持っている。ここで勝って、日本の歴史を変えよう。日本の民主化にとってもこのたたかいは大きいと思う。

辺野古裁判の今後―仲山忠克弁護士の講演から

 2017年2月の判決が予想されている辺野古訴訟。福岡高裁那覇支部判決の問題点と最高裁判決はどうなるのか、そして、確定判決後の辺野古新基地建設は阻止できるのか。11月5日、新垣勉弁護士は与儀公園横の那覇市教育会館(主催:おきなわに地方自治の「研究所」設立をめざす準備会)で、仲山忠克弁護士は安里1区公民館(安里・大道・松川島ぐるみの会)で講演を行った。
 新垣弁護士も、仲山弁護士も高裁判決の問題点を厳しく批判し、最高裁は大法廷を開いて見直すだろうとの見立てをされた。お二人の講演をメモに基づいて報告するので、その批判点をじっくり吟味されるようお勧めするが、県を敗訴させるために、行政法専門家の通説や最高裁判例に反する独自の解釈を作り出すことまでやっているのが高裁判決である。憲法解釈が必要と最高裁が判断したとき大法廷を開くといわれるが、そればかりでなく、過去の判例との整合性が問題になるときも開かれるといい、今回の福岡高裁那覇支部判決は、その判決内容から見て、大法廷を開かざるをえないであろうというのである。
 なお、新垣弁護士は、沖縄タイムス10月11~13日付に、「違法確認訴訟判決の問題点」という論考を発表されている。

<仲山弁護士の講演の概要>
 まず、「関与の制度」について触れておく。戦後長い間、「機関委任事務」を押し付けることで、国は地方を下に置いてきた。しかし、それが地方分権改革の中で機関委任事務が廃止され、国と地方は対等の関係になった。そのもとで、地方による公益侵害がおきたときに国は是正ができるが、それはあくまで例外とされた。
 今回、国交相沖縄県に埋め立て承認取り消しを取り消すように指示したものも、「是正」の指示の一つです。最近の例では、竹富町が教科書採択でおこなったことにたいして国が行ったのが「是正」の勧告でした。改正された地方自治法では、地方の自主性を尊重しなさいと明記されている。だから国が地方自治体に関与することは例外的に行われる、このことをまずきちんと見ておくことが重要です。
 仲井真知事が埋め立て承認をしたことを翁長知事が取り消した。それにたいして、国交相が是正の指示を出したが、翁長知事は従わず、取り消さなかった。それで沖縄県は不作為をしており「違法」であるとして、国は「違法確認訴訟」という裁判を起こしました。
 私は初め、国の主張丸写しの判決ではないかと思いました。判決文全文を読んで、その最初の印象が間違っていなかったことを確信しました。
 事実認定ですが、普天間基地の危険性の除去をするには、辺野古が唯一だといい、辺野古への移転は負担軽減に資するとも言っている。被害を受けている県民が、辺野古移設は被害の固定化につながると言っている。被害者を無視した、上から目線の判決です。それから、海兵隊の県外移設は、即応能力が失われるとも言っている。
 辺野古普天間の代替基地ではない。新基地です。普天間基地にはなかった弾薬庫がつくられる。普天間の滑走路は1本だが、それが2本になる。強襲揚陸艦が接岸できるようになる。これまで沖縄には、強襲揚陸艦が接岸できる港はなかった。だから海兵隊が遠征するときは、佐世保まで行っていた。辺野古強襲揚陸艦が接岸できるようになると、辺野古から全世界に出撃することになる。
 普天間基地できて70年、老朽化しており、アメリカは、最新鋭の基地としての辺野古を求めている。飛行場と軍港が一緒になった基地は沖縄にはない。ホワイトビーチには原潜は入るが、大型艦船は入らない。あるのは岩国だけだ。
 そして辺野古に新基地が造られると、自衛隊も来る。2005年に米軍再編が定められ、日常的に共同使用がすすめられている。米軍と自衛隊が一体化する、そこを見ないといけない。
 仲井真知事が埋め立てを承認し、それを翁長知事が取り消した。仲井真知事の判断は適法だったのか、それとも翁長知事の取り消しが適法だったのか、これが裁判で争われた。知事には裁量権がある。その範囲であれば適法である。どちらでもいいように見えるかもしれないが、どっちに重点を置くかによって判決が変わる可能性があった。高裁は、仲井真知事の判断は適法だったとした。この入り口から判決は間違っている。
 翁長知事はどういう場合に、前知事の判断を取り消すことができるか。判決は、違法の時だけとした。しかし、学会、判例は違法だけでなく、不当もできるとしていた。ここに高裁判決の2番目の問題がある。
 どうして判決は、学者や判例と違うことをあえてやったか。そのからくりを暴かなければならない。
その最大のポイントは、国の説明する国防の必要性は、国の判断を尊重すべきだ―ここが最大のポイントです。沖縄県民がどのように言おうが関係ない。国防・外交は国がすることだと。ここから出てきている。
 地方自治の立場からすれば、沖縄の自主性、自立性を尊重するのが当然。判決は、地方自治、民主主義をないがしろにしている。そこが基本だということを押さえることが重要だ。
 国防・外交とは何か。安保体制、軍事同盟は神聖にして侵すことはできないというのが本音であり、沖縄県民がどんなに異議を唱えようが関係ないという判決だと思う。
 アメリカに自発的に従属するのが安保だと言われる。これまでは、自治体がそうだと言われてきたが、今回は司法が言われる。
 翁長知事は、次は埋め立て承認の撤回をすると言われている。行政法では、取り消しも撤回もできることになっている。判決は、撤回に対する予防線も張った。
 最高裁は、どういう判断をするだろうか。三つのパターンが考えられる。①高裁判決はおかしいとして、知事取り消しを有効とする判決を出す。これがベスト。②高裁判決を破棄し、埋め立て承認の取り消しを前提に高裁は審理をやり直しなさいという判決。おそらく県は、これを期待しているだろう。③県の上告は認めない、つまり県の敗訴。
私は、②の差し戻しを期待したいが、最高裁は安保が出ると理屈は認めない。だから、率直にいうと沖縄県の負けということになるだろう。理屈で言うと沖縄の勝ちなのだが。湖西の理屈はひっくり返すが、県敗訴の結論は同じという判決を出すかもしれない。私の予測が外れることを切に願う。
 大法廷が開かれる可能性はある。大法廷に出る裁判官は多くて18名。その18名で沖縄の未来を決めることはできない。買ったら喜び、負けたら泣くのは当然。しかし、どんな判決が出ようと、それにとらわれない。たたかいが沖縄の歴史を切り開いてきた。そのことが沖縄県民は問われる。
 判決がでたら何もできないか。そんなことはない。辺野古埋め立て工事の前提である岩礁破砕、この許可は仲井真知事が承認したのだが、それが来年3月に切れる。翁長知事は許可しないと言っている。それからサンゴの移植。これも国が前県政にたいして辺野古の環境を守ると言って約束したこと。サンゴを移植するには、サンゴを取らなければいけないが、それは知事の許可が必要になる。これも翁長知事は認めない立場だ。
 設計変更という問題もある。国が提出した工事計画はボーリング調査前のもの。ボーリング調査をした結果を踏まえたものに計画を変更することがでてくるが、それも知事の承認が必要である。実際、岩国基地は設計変更を8回した。
 名護市長の権限となっている事項も、防衛省はクリアしなければならない。その一つに美謝川の水路を変える付け替えもある。
 それらが適法に行使されれば、工事はできない。知事に与えられている権限を行使するには、知事を支える県民、たたかう民意が必要だ。県民の力だけでは足りない。全国に広げること。現地でのがんばりが全国に広がる。現地でのたたかいが強固であれば広がる。法的決着が最終決着ではない。最後は民意だ。
 きょうの会は、島ぐるみ会議だから、当然、安保について賛成、反対いろいろ意見はあると思う。しかし、私の考えでは、沖縄の基地問題の抜本的解決は、安保をなくすしかない、そのことをあえて言わさせていただきたい。
 裁判所まで安保に毒されている。「軍事力による平和」という考え方がある。他国や他国民を虐殺して自らを守るという考え方が、軍事力による平和。共存の考え方にまったく反する考え方です。日本国憲法9条は、軍事力によらない考え方をとっています。沖縄では7割が安保反対です。ところが本土は、安保容認が多い。長年、軍事基地が存在し、受け入れざるをえないことが反映している。
 新基地建設問題を考えるとき、無条件撤去、県外移設、容認と意見が分かれているが、このことが弱点になっているのではないか。普天間は無条件でなくせ。沖縄のたたかいはこの国の在り方を変える名誉あるたたかいだ。これに積極的に答えていこう。判決がどうであろうと、沖縄は屈しない。

 以下、質疑応答。
問い:最高裁判決はいつ。
 答え:政府は2月と言っている。撤回すると、ふたたび工事は止まる。
 問い:判決が出てしまって、判決に屈しないというのは?
 答え:この判決は、違法確認訴訟だから、埋め立て承認取り消しの取り消しをする義務は発生しない。しかし知事は、確定判決(つまり最高裁判決)に従うと言っており、最高裁で敗訴すれば埋め立て承認取り消しを取り消す。撤回も可能だから、撤回するか検討しているだろうが、撤回したら、国がまた訴える。撤回もだめとなると、工事はふたたびできることにはなる。しかし、知事が行政手続きを承認するかどうかは別だ。解雇事件で、最高裁で負けたが、運動の力で会社に復帰を認めさせた例がある。逆に、7回裁判には勝ったが職場に戻れなかった例もある。運動がなかったからだ。判決の存在を否定することはできない。しかし、運動で工事を止めることはできる。裁判に従うのは知事だが、県民に従う義務はない。
 質問:仲山弁護士は、他府県の力が必要と仰ったが、海外の力も有効ではないか。
 答え:国内しか言わなかったが、ご指摘の通りだ。反対のあるところに軍事基地は置かないというのがアメリカの政策。日本政府が一番弱いのは国際世論だ。沖縄の基地強行は、安倍政権の体質でもある。安倍政権をどう打倒するか、それが新基地にも直結する。

 

緒方靖夫さんが語る瀬長亀次郎さん

 日本共産党国際委員会責任者の緒方靖夫さんが11月2日、来県され、豊見城市内で講演された。高知でお会いして以来のことだから10年ぶりだろうか。お話で期待していたのは中国のことだが、共産党大会決議案の作成に携わっておいでだろうから、関係方面での熱い議論を踏まえて話されることもあろうと思っていた。たとえ議論の途中経過ですべてをお話になるわけではなく、触りに過ぎない範囲にとどめてのことではあろうが、と思っていたが、それでもこれまでになく踏み込んで中国問題をどうみるか、解明されるとの印象である。
 今では中国メディアの報道など読む時間も無くなっているが、数年前まではそれなりに読んでいた。「和偕」という言葉が頻繁に使われていたころである。字面からいえば「共同社会」の意味に近いかもしれないが、GDPで日本を抜き、世界2になったころであり、力の弱い中国という時代は過去の話だといい、尖閣でも実効支配を目指すようになり、中国国内では格差社会が著しくひどくなった。北京から石家庄まで深刻な大気汚染に覆われていた。天安門事件直後は、表現の自由が全くないと言われていたが、このころは、日常会話の中で中国共産党批判をやっても公安ににらまれるようなことはなくなったということだったただ、ネットでの検閲などはかなりやられていて、パソコンに詳しい人は、いろいろ工夫して情報を得ているが、そうでない人はなかなか情報が得られないよと、北京の学生から聞いたこともあった。そして「中国共産党に入る人は、マルクス・レーニン主義の実現を目指すのではなく、一定の地位を得たいためだ」という話も聞いた。これらはあくまで断片的な情報に過ぎないが、「社会主義をめざしている」国だとは全く感じなかった。
今はもっと日本との経済的な「力」の開きも大きくなった。だからかつてなく覇権主義的な態度を強めているのだろう。日本共産党の中国に対する最新の分析を心待ちにするものである。

 緒方さんが語られた今日の沖縄をどうみるか、これも非常に面白い講和であった。その部分をかなり詳しく紹介する。
                   ◇
 不屈館が開館されてから行きたいとずっと思っていました。それで今日はまず不屈館に訪問しました。瀬長さんに特別の思いがあるのは、瀬長さんが国会議員になられて党の副委員長として外国にお供しているんですよ。イタリア共産党大会に行きました。通訳として同行したとき、瀬長さんからいろんな話を聞いて、スケールの大きさ、それから瀬長さんの人気、イタリアに行くとき、アンカレッジに泊まったときに、街を歩いたんですね。そしたら、みんな集まってくるんですね。沖縄の出身だと。面白いことがあるんですね。アメリカに行くことになったとき、そのときぼくに聞くんですね。緒方君、ピザは出たかね。ビザなんですけどね。ベトナムに行って、キューバに行って、そういうところがとても性に合ったんですね。気候も沖縄と同じなんだよというような話をされて、印象に残っています。
展示を見た中で印象に残ったのは「宇宙がある限りたたかいは前進する」。すごいですね、こういう発想はできない。
 もう一つ学んだのは、民主主義の問題です。瀬長さんがいう民主主義という言葉は、こんなに重いんだということを何人も証言されています。ポツダム宣言、これは基本的人権と民主主義の尊重、これを大事にした。アメリカ占領軍の横暴に対しては、ハーグの陸軍条約、この規定で占領者は、被占領国民にたいしてしてはならないという条項があるんですけども、それに従うと。瀬長さんのたたかいは、民主主義が根本にあってたたかった。
 いまのたたかい、ことばにいいつくせないくらい常軌を逸した強権的なやり方、すべて民主主義に反する。そして民主主義で団結してオール沖縄が出来ている。そのことを、展示を見ながら一番学んだわけです。全国的には野党共闘を進めていますけれども、その野党共闘も、実はふらふらしたり、いろんな問題がある。それでもそれをやっていく構えです。それは沖縄の経験なんですよ。沖縄の経験にはくめどもくめども尽きない大きな教訓がある。大きな学びがある。それが僕たちの気持ちなんです。
そういうことを考えたときに、沖縄への攻撃は、全土を戦場化することにある。ですから沖縄のたたかいというのは全国で戦場化を阻止するたたかいだと思っています。連帯というよりも、一体のたたかいと考えてやっていきたいと思っています。
 たたかいが情勢を変え展望を生み出す。そして勝利を生み出す、それが鉄則と述べられていました。祖国復帰のたたかいを考えてみますと、アメリカの文書を読むとわかるんですけれども、沖縄のたたかいが、ポイント・オブ・ノー・リターン、ひきかえしができないところまで来てしまっている。いいかえれば沸騰点に達したと。だからこのままにしていたら基地の存続さえ危うくなると。アメリカは、そういう認識をしたんですね。アメリカは、極秘裏に世論調査をして、沖縄で何割の人が基地に反対しているのかを調べました。そして「ポイント・オブ・ノー・リターンにある」ということを1969年の時点で判断しています。そしてサンフランシスコ条約の規定さえも変える、そういうことが起こるんですね。
 その中でアメリカが重視したことというのは、沖縄から自由出撃、つまり基地を維持すること、瀬長さんが怒りを込めて糾弾したことです。それと有事の核持ち込み、それにくわえて経費の問題。日本からふんだくる―そういう3つの目標を立てたんですね。それと同時にアメリカは、人民の自決権の擁護者として国際的にアピールできる、そのことを踏んだんですね。大宣伝の場にしようと。そういうことをやりながら、厄介な問題は日本政府に押し付ける。そういう計算をして進めたんです。
 ニューヨーク・タイムズが「沖縄県民の意志の否定」という社説を書いたことがあります。少し引用すると、「沖縄県民の怒りの核心にあるのは、巨大な不正義だ」と書き始め、沖縄の歴史に触れた後、「この島は、上から下まで軍事基地―沖縄県民から奪った土地に建設された―と戦争用装備と軍隊に由来する問題によって窒息させられている。騒音、致命的事故そして米兵による女性への暴行だ」と述べている。これ、アメリカの社説なんですよ。こうやってきちっと現状を見ている。そして最後の2行がとても大事で、「日本と米国は、平和、人権、民主主義を堅持する国だと自認している。この主張は、辺野古の行き詰まりを解決できないことによって、試されている」。要するにニューヨーク・タイムズの主張というのは、民主主義の問題として問題を提起している。
 この押し出しは一番大事だし、瀬長さんが身をもってたたかったそのたたかいだと思いますね。民主主義の問題として押し出している。これはアメリカにとって一番弱いところです。民主主義の問題は、アメリカのアキレス腱なんです。
 自分が民主主義の国だと言っているんですから、それを否定しちゃうことになったら、何なのと言われかねないことになる。
 アメリカの国というのは、沖縄問題を含めてあらゆるシミュレーション、選択肢を用意している。日本政府が辺野古しかないと言っている限りは、日本政府を困らせるようなことはしない。しかしアメリカの政府と高官は、そういうことをみんな見ている。だからやめた人はみんないう。
 ジュセフ・ナイ。この方はペンタゴンの高官だった人。今から2年前に辺野古移転について「長期的な解決にならない。固定化された基地はぜい弱だ」という。それからカート・キャンベル。去年の6月に国務省の次官補をやめた人ですけれども、やめた直後に何を言い出したかというと、「どんな合意でも沖縄県民や人民の支持が得られなければならない。このような反対意見が出ることは、われわれにとって立ち止まり考えさせられる状況だ」。
 翁長知事がワシントンに行って米国人が直接話を聞いたことはとてもいい機会だったんですけれども、今のアメリカの人たちは沖縄のことを知らない。沖縄のことを知ってほしいということをキャンベルは行っているんです。これはたいへん興味深い発言です。
きょう瀬長さんのとても大事な言葉が心にしみました。「民衆の憎しみに包囲された軍事基地の価値はゼロに等しい」。まさにこれなんですね。アメリカは分かっているわけです。これがわかっているから、民衆がどういうことを考えているかということをくんで祖国復帰に踏み切ったわけです。今度は辺野古の問題。新たに基地を押し付けるという問題で、ヘリパッドを押し付けるという問題で、新たなノー・リターンが生まれる、それが沖縄の状況だろうと思います。
 ケネディー大使が移転先として辺野古が最適だといったことにたいして、アメリカの知識人がずらりと反論を載せました。そのなかにノートン・ハルという名前を発見して、はっとした。かれは、ペンタゴン沖縄返還交渉の時に、非常に悪い役割を果たした人です。日本の若泉敬さんという方が、佐藤首相の特使として仕事をしたときに、若泉さんと何度も打ち合わせをした人です。その人がケネディー大使に抗議している。これはすばらしい。
 秘密保護法が通されたときにもこの方が反対したんですね。僕は警察から電話盗聴を受けた。裁判に勝ちましたけれども、そのためにアメリカに行脚に行ったんです。ニューヨーク・タイムズに、キッシンジャーがかつてホワイトハウスの自分の部下に対して盗聴器を仕掛けた。その裁判をやっていた4人に対して謝罪したという記事が出ていた。その一人がノートン・ハル。すぐ電話して、合いたい、私は電話盗聴の被害者だと言ったら会いましょうと言って、カーネギー財団の上級研究員だった。かれは支配層の一人だが、盗聴反対という点では一致した。
 沖縄の現状をアメリカ国民に知らせる、そしてまた、国連人権委員会に対しても問題提起をしていく。知らせながら県内の闘いを大きく発展させながら再びポイント・オブ・ノー・リターン。情勢の沸騰点、転換点をつくること、そういうことを進めていくことがとても大事なんじゃないかなと思っているところです。
 
 含蓄あるお話でした。