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辺野古裁判の今後―新垣勉弁護士の講演から

 仲山弁護士に続いて新垣弁護士の講演要旨を。


<新垣弁護士の講演の概要>
 福岡高裁判決を聞いて、やっぱし、そうだったのか、落胆はしないけれども、日本の司法はこうだったのかと思った方がたくさんいらっしゃると思う。でもわたしがきょう皆さんにお伝えしたいことは、今の司法の現状がいかに保守的であっても知事の主張に法律的に見ても理がある。このことをみなさんといっしょに確信を深めてまいりたいと思います。なにも私が翁長知事サイドの立場にあるからこういうのではありません。弁護士として本当にそう思う。
昨年9月、知事、副知事と意見交換したことがある。知事は、どうしてマスコミは裁判の勝敗にこだわるのかね、もっと広い目で埋め立て承認を取り消すかどうかという決断の意味を考えてくれないのかねという話をしました。まだ、そのときは取り消しをしていないときでしたが。私たちもそうだと言いました。私は、その日の帰り、ある歴史学者を訪ね、歴史学者で社会的な学問を研究する先生方が裁判という狭い土俵で見るのではなくて、もっと広い目で知事の決断、知事に迫る決断を、論陣を張ってもらえないでしょうかとお願いをしました。先生もそうだと言いました。これまでの翁長知事の行動を見て、翁長知事がますます私たち県民の心をつかまえて、どっしりと地に根を下ろして、行政を運営しているということを感じていませんか。
 知事選前、政策協定を結ぶ段階で、知事は、あるいは知事を支援する幹部の皆さん方は、埋め立て承認の取り消しを政策協定にいれることを躊躇しました。その時に知事は顧問弁護士からいろいろ意見を聞いて、ちょっとむつかしいと思っていたかもしれない。私たちは候補者として選んだ翁長氏と面談をして、法律的に大丈夫だ、知事に当選したあかつきにはぜひやってほしいとお願いをしました。その時から比べますと、翁長知事は、自分がおこなった埋め立て承認取り消しに自信をもっていることを、最近、感じます。
 そうは言っても、みなさんは裁判の勝ち負けに関心があると思います。福岡高裁で負けたことは事実です。でも、日本の裁判所をそう馬鹿にしてはいけないと思います。最高裁判所は歴史的にみると、確かに支配層、権力を押さえている部署であることは間違いありません。でもそこで選ばれてきた15名の裁判官は、法律家としてそれなりに鍛えられた人です。なまじっかな理屈で首を振るような人ではありません。私は法律家として、最高裁に期待をしています。最高裁で、福岡高裁判決の矛盾を明らかにして結論をひっくり返す可能性は大きいと思います。
 みなさん、私たちはどんなに自分に自信があると思っても、時には間違いを起こします。間違いを起こしたときに、しまったと、きのう決断したことを間違っていたと思うときには、いつでも自分の決断を変えることができます。これが自主性です。人間の持っている自主性。それと同じように権力を持っている行政の長も、できるだけ間違えないように行政をやりますけれども、時として誤った決断をすることがあります。行政というのは、自分が過去にやったことであっても、それが間違っていると思ったときには、直せるのが行政なんです。
 なぜか。それは、行政権力は、県民から権力を委譲されて、県民のために権力を使うように義務付けられているからです。ですから知事であれ総理大臣であれ、行政権を握っているものは、自分の過去の判断が誤っていると思った時には、それを直す権限を本来持っていなければなりません。これが人間の自主性でもありますし、民主主義社会における国民主権地方主権です。ところが今回の福岡高裁判決は、面白い理屈を作り上げました。どんな理屈かというと、いったん決断したことを後でひっくり返す場合には、前の決断が違法な場合にだけしかひっくり返せない、こういうふうに言い切りました。ということはどういうことか。前の決断は違法ではないけれども不当である、こういう場合には、もう決断はひっくり返せませんよというのが高裁の考え方なんです。なぜ違法な場合にだけひっくり返せて、前の判断が不当であると考えられるときにひっくり返せないのか。みなさん、理由をききたくなりますでしょ。でも判決のどこを読んでもその理由は書いてありません。ここが福岡高裁の最大の弱点です。これは私だけがそう思うのかというと違います。行政法学者のほとんどはそうです。いままでの行政法の通説は、前におこなった承認が違法の場合にも取り消せる。違法でなくとも不当と思った時にも取り消せる、見直せる。これが行政法学会の通説です。ですから福岡高裁判決は行政法の通説に真っ向から反する新しい解釈を持ち出しました。最高裁がこれまで判例をたくさんつくってきました。最高裁判例は、前の処分を取り消せる場合は、違法な場合だけでなくて、不当の場合にも行政長は前の判断を見直したり、取り消すことができるという判例を戦後ずっと積み重ねてきました。ですから今回の福岡高裁判決は、最高裁のこれまでの考え方にも真正面から反抗しました。つまり福岡高裁判決の特異性は、行政法の通説にも反対する、これまで最高裁が積み上げてきた考え方にも反対するという、新しい独自の考え方を打ち出して県を負かした。
 この裁判長は、この裁判が起きる直前に最高裁の人事配置で赴任してきました。政治的判断をするためにこの裁判長を配転したのではないか。
 前任地は千葉、名古屋で裁判をしていますので、仲間に聞いたが評判は割れました。名古屋では、労働事件でまともに聞いてくれるということだった。しかし、千葉では、あんな強権的な裁判官はいないと批判していた。とまどいました。そしてあの判決です。
最近、一票の格差訴訟で、同じ裁判官が判断しました。合憲状態だという判断をしました。全国の高裁で一票の格差裁判が争われていますが、9つの高等裁判所違憲状態だと判断しました。5つの高裁で合憲状態だと判断しました。つまり福岡高裁那覇支部の裁判長の考え方は、基本的に保守的な性格を持っているということがよくわかります。保守的だったらいいけれども、どうも上を見る性格ではないのかなというふうに思います。高等裁判所、全国にいくつかありますけど、一番権威があると言われている東京高裁は違憲状態と判断しました。
 私たちは、翁長知事が仲井真知事の埋め立て承認を取り消せるのは、違法な場合だけじゃなくて、不当な場合も取り消せる、これが県の主張の基本でした。ところが、新しい理屈を生み出して、不当な場合は取り消せない、違法な場合だけしか取り消せないと、まず高裁は前提を自分で作ってしまう。そうするとどういうふうになるかというのは、本質的にはっきりします。つまり埋め立てをするかしないかは、法律で要件を定めているけれども、その要件の範囲内であれば、裁量権があるというのが、埋め立て法の基本的な性格です。裁量権がある。だから今回の判決は、仲井真さんは埋め立てをするかしないか裁量権を持っていた。その裁量権の範囲内で埋め立てを認めているんだから、その中身が不当であっても違法ではない。持っている裁量権の範囲を超えれば違法になるけれども、持っている裁量権の範囲なかでここで判断しようか、違う別のところで判断しようか、それは知事の裁量の範囲なんだから、不当ではあっても違法ではない、そういう理屈なんです。だから今回の判決は、仲井真知事が行った埋め立て承認は、裁量権の範囲を超えていないから違法ではないから、翁長知事は取り消しはできない、という理屈で県の主張を葬り去ってしまった。これには行政法の学者もみんなびっくりしました。
 前の最高裁の判決でも違法または不当の場合にも取り消せるという前提で最高裁の判断が示されているというのに、どうしてそれに従わないで、まったく新しい理屈をこの裁判長が作り上げる。説明がつかない。これが福岡高裁の最大の弱点です。
 判決を支える二つ目の論理は、仲井真知事が埋め立て承認をするときには裁量権があり、翁長知事が見直して取り消しをする時には同じ知事であるのに裁量権はありませんという理屈を考えた。なんで同じ沖縄県の知事なのに、埋め立て承認をするときには裁量権があり、取り消しをするときにはまったく裁量権がないということになる。これも判決の中ではまったく説明していません。
 同じ沖縄県知事、仲井真さんから翁長さんにかわったけれども、同じ沖縄県の知事なんだから、前に裁量権があれば、取り消しの時にも裁量権を持っていると考えるのが自然だというのが行政法の考え方です。もし前の知事と同じように翁長知事が裁量権を持っているというふうになりますと、どういうことになるかといいますと、取り消しを考えるときに、いろんな事情を考慮して裁量ができれば、仲井真知事は裁量の範囲内で一番左を選んだけれども、自分は最良の範囲内で一番右側が妥当だと思う時には、裁量権の行使で前の判断をひっくり返すことができる。つまり前の仲井真知事の裁量判断は違法ではないけれども不当だと思った時には、妥当と思うところに切り替えることができる。ところが今回の福岡高裁は、仲井真知事は裁量権を持っていたけれど、翁長知事は裁量権がないと考えたものですから、前の知事がおこなった判断が当か不当の判断をするまでもない、というふうになっちゃった。これもおかしい。
 なんのために法律が、あるいは法理が知事に取り消し権を与えたのかという、そもそもの取り消し権の本質をどのように考えたかというところに最終的には行きつく。行政権というのは、市民・国民から与えられている権利ですから、与えられている権利は、市民や国民のために使うように義務付けられている。だから前の知事がおこなった判断が相当でないと思った時には、市民のためになるように相当と思う判断に切り替える権利、義務があるわけです。取り消し権、行政権の本質をどう理解するかによって、今行った裁量権の行使の問題が決まる。ここもおそらく最高裁で新しい判断が出ると思います。
 この二つが、法律家として最高裁で福岡高裁判決をひっくり返す二つのキーポイントになると思います。
 それからもう一つ。三点目。埋め立ての必要性についての面白い理屈があります。翁長知事は取り消すときに、普天間の危険性の除去は分かった。でも、なんで辺野古なの。説明がないじゃないのということを理由にあげました。これは県民が心から感じている疑問点です。
 福岡高裁は、どんな理屈を行ったかといいますと、知事は確かに辺野古に基地をつくるかどうかについては、一定の範囲内で判断することができますよ。一応県の顔を立てたんです。ところが、ただしということで、次の理屈を生み出しました。辺野古に基地を造るかどうかというのは、国が決めることだ。国がいったん決めた以上は、合理的だと考えるのが筋でしょ、と。担当している国がいろんな人の意見を聞いて、辺野古が必要だと思った。いったん国が決めたことは、理由がある、正当性があると考えるのが筋でしょ、と。特別に不都合があるというときにだけ裁判所は、審査ができるんです。そうでない限りは、知事は、国が辺野古は必要だといった以上は、辺野古が必要だということを前提にして、埋め立てを判断しなさいよという理屈をつくりました。建前は県が判断できるけれども、国策に関する重要な決定事項だから、例外的な、特別に不都合がない限り、それを尊重しなさいという理屈をつくって、辺野古の埋め立ての必要性を認めてしまう。これが三つ目。これは明らかに、国の立場に立った論理です。国と地方自治体が対等の立場だということであれば、知事は、平等の立場で審査する権限を持っていなければなりません。そして公有水面埋立法は、実は、それを認めている法律なんです。この点でも、福岡高裁判決は、建前上は知事の対等性を認めながら、実質判断のところで、国の決定を優先させる論理を作り上げている。ここに国偏向と批判を受ける問題点があります。これが三つ目の弱点です。
 私の話をまとめますと、翁長知事は、仲井真知事の判断が違法でなくとも、不当な場合には取り消せる。そして辺野古の埋め立てが必要かどうかについても対等の立場で審査ができる。これが原則でないといけない。しかし例外的にできない場合があります。これまで最高裁が築いてきた論理なんですが、取り消しをしなければいけないほどの必要性、公共性がなければいけませんよというのが、最後の取り消しを認めるハードルなんです。分かりやすく言うと、今後、沖縄のために、仲井真知事の埋め立てを認めていた方が沖縄のためになるのか、いや、あれは間違っていた、不当だから取り消して、新基地を造らせない、そして埋め立てをさせないということを、であれば、という場合だ。もうこれ以上基地を造らせないことが将来の沖縄のためになる、これを比較して県民のためになるのはどちらか、ここが最後のハードルになります。
 私たちは、沖縄の戦後の歴史を見てきていますので、もうこれ以上、基地を造らせないことが沖縄の将来のためになると思います。ほとんどの人がそう思っています。ところが県民の中には、いや、辺野古を埋め立て新基地を造らせれば、嘉手納より南、キャンプ瑞慶覧までの基地は返ってくるんだから、そっちの方が得だと思っている人もいます。これは価値判断。どっちが県民の将来のためになるかはかりにかけているんです。ここが、沖縄のことをどれだけ知っているかによって、はかりが動きます。
 私は、最高裁で先ほど言った論点ついては、勝てると思います。最後のはかり、これは分からないです。なぜなら、東京に住んでいる人たちに沖縄の歴史と実情をどれだけ伝えきれているのかなという不安があります。沖縄の歴史と現状を知らないと、はかりが右にも左にも動きます。この点が、私は最高裁で、翁長知事の取り消しを認めさせる最後の重要なポイントだと思います。そのためになにが必要になるか。
 私たちは大衆的な裁判闘争のときに言っていますけれども、裁判は法廷の中だけでたたかうものではない。はない。法廷の外で、どれだけ広い国民の支持を集めることができるかどうかが、実は、裁判の勝敗を決める大きなキーワードになる事件がある。日本の戦後の裁判の中で、たくさんそういう事件がありました。地裁、高裁まで有罪と言われてしけ判決を受けた被告が最高裁でひっくり返す。砂川事件松川事件。戦後代表的な事件、あるいは冤罪事件、たくさんありましたけれども、国民の運動の広がりの中で新しい証拠が出た、新しい世論が形成され、それ影響を与えて最高裁の判断をひっくり返すことがいくつも体験してきました。
 今回の埋め立て取り消しは、まさにそういう事件だと考えなければいけない。
私が知事にやってほしいのは、全国的なキャンペーン運動を沖縄県は率先してやるべきだ。特に東京に焦点を合わせて、いかに新基地建設が沖縄の未来にとって害あるものであるかということを知らせるという国民的な運動が、私は勝敗のカギを握っていると思います。

 問い:取り消しと撤回の違いは?
 答え:取り消しは過去にやったことにミスがあった時。過去にやったことにミスはないがその後の事情に変化があった時は撤回。理由の違いです。どんな法律でも力関係で使われ方が違います。正しく法律を作ること、正しく法律を使わせること。翁長さんは、だんだん自信をもってガジュマルのように地にしっかり根を持った知事になりつつある。これは一番強い。国から見ればこいつはどんなことをやってもたたきつぶせないとなる。これは国にとって怖いことだ。住民と行政権が結びついているところに特徴がある。復帰闘争の時もそうだった。市民の運動と行政が結びついたとき、どれほど強いか。大同団結できるのが沖縄のいいところ。その体験を私たちは持っている。ここで勝って、日本の歴史を変えよう。日本の民主化にとってもこのたたかいは大きいと思う。