愛知における強制連行問題の取り組み(5)

●楊東元さん証言 その3 大府出張所

 

<大府出張所のこと>

置戸から次に本州に連れていかれました。名古屋に近い作業場でしたが、地名は覚えていません。名古屋に行ったという記憶です。

ここでは寝るところは建物ではなく、テントのようなところでした。モンゴルのパオみたいなものでした。下に稲わらが敷いてあり、その上に寝るのでした。寒い北海道から行ったので、ここではあまり寒かったという記憶はありません。

ここでは、飛行場の建設作業をさせられました。土地を整地するために小さい一輪車を押して土を運びました。

食事はトウモロコシの粉で作ったものがほとんどでしたが、たまに白いご飯を食べたという記憶があります。

多分ここで亡くなったのだと思いますが、同じ班にいた楊洪寛という人が亡くなりました。この人は病気になりましたが、治療も受けられず、薬ももらえないままで亡くなりました。そのほかにも亡くなった人はいましたが、名前の覚えている人はこの人だけです。

名古屋ではアメリカ軍の空襲を見ました。空襲で火が燃え上がっているところが見えました。日本人はとても怖がっていました。