「置戸町史」に見る中国人強制連行(7)

  水銀蒸気は有毒で、歯や肺を侵し、水銀中毒患者を生みます。“中国・韓国・朝鮮からの外国人労働者はそうした危険の最前線にたたされた”といわれています。外務省管理局の「華人労務者就労事情調査報告書」では、地崎組置戸は「沈殿池築堤工事」、伊藤組置戸は「整地工事」、野村置戸は「築堤工事」となっており、「坑内作業」もさせられたかどうか判然としません。

 北海道訴訟では、野村置戸で働かされた原告が14人にのぼりました(裁判は終結しています)。この人たちが水銀採掘をさせられたかどうかという点にしぼって札幌高裁の判決を見ていきます。

 

a. 控訴人趙宗仁は, 昭和5(1930年) 410(旧暦) に生まれ, 北京市海淀区蘇家三村において, 両親, 妹1人, 兄夫婦及び同控訴人の許嫁の7人家族で農業に従事していた。

b . 控訴人趙宗仁は, 昭和19年(1944) 9月, 村の役人から昌平県で仕事があると言われて働きに出ることとなったところ, 北京市内の華北労工協会管理下の建物に連れて行かれ, さらに塘沽の収容所に送られた。その後, 控訴人趙宗仁は, 貨物船に乗せられて下関に上陸し, 同年10月ころ, 被控訴人熊谷組の沼倉出張所に到着した。

C . 控訴人趙宗仁は, 沼倉出張所において砂利運搬作業に従事したが,怪我をしたり, 左足が凍傷になったほか, 石が上手に運べないと日本人の監督から平手打ちをされるなどした。

d. 控訴人趙宗仁は, 昭和20(1945) 1月, 被控訴人熊谷組の平岡出張所に送られ, 同出張所において砂を濾す作業等に従事したが, 疥癬にかかるなどした。

e . 控訴人趙宗仁は, 同年531日, 野村鉱業の置戸鉱業所に送られ,同鉱業所において鉱物を掘る作業等に従事したが, 疥癬に悩まされたほか, 風邪を引いたり頭痛が生じたりした。

f. 控訴人趙宗仁は, 同年12月, 佐世保から中国に帰国したが, 帰国に際して若干の金銭を受け取った以外に, その労働に対する賃金の支給を受けていない。」