強制連行の基地となった塘沽港(2)

天津塘沽港務局は、「塘沽労工収容所(集中営)調査報告」(1970年6月9日付)をまとめています。

私達は、座談会を開き、また、関係者を訪問し、質問することによって、労工協会、労工収容所、および日本人がつくった塘沽新港の“万人坑”に関する調査を進め、大体においてそれらの成立時期を明らかにし、場所も特定した。新港の“万人坑”を実際に観察し、当時の労工から話を聞いた。情報を提供した人は120人余で、うち15人は被害を受けた労工本人である。収容所は1943年冬につくられた。労工と収容所の職員の記憶によると、19458月に日本が投降するまでの1年余りの間に事故や虐待によって死亡した労工は1万人以上である。収容所では、急性の伝染病が流行した。生存が脅かされ、労工の闘争は絶えず、大きな暴動が3回起きている」と述べています。

塘沽労工協会と労工収容所の組織系統については、

▽河北労工協会天津事務所塘沽分所19421月設立

▽于家堡労工紹介所 1942年末設立

▽塘沽労工紹介所 1943年設立、塘沽南大街▽労工収容所 1943年冬設立

であり、いずれも責任者(所長、もしくは主任)は日本人で、そのもとで働く所員・事務員は中国人であることを明らかにしています。