2014-01-01から1年間の記事一覧

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(21)

(附表二)関係者名簿 種別 関係 所属 所属 役職名 氏名 就任年 退任 現勤務先 備考 機関 箇所 年月日 年月日 及勤務地 本社 事業主 株式 熊谷組 社長 熊谷太三郎 在職中 会社 華労業務 〃 〃 担当●所長 〃 〃 労務課長 大浦重右衛門 〃 事 〃配置 業 事業場…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(20)

(附表一)事業場概要 種別 名称 所在地 電話 交通 業務 配置就労 (最寄駅 中止閉鎖 駅ヨリ粁) 年月日 事業主体 株式会社 福井県福井市 福井二〇一(判読不能) 土木建築 ―― (本社) 熊谷組 豊島上町 請負 一番地 東京ニ於 株式会社 牛込区筑土 九段 (判…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(19)

六、就労ノ成果及影響 一、概況 華労ノ移入当初、日鮮人ハ「支那人」ト云フ感情的優越感ヲ持チ殊ニ鮮人ノ如キハ直接云々セズ、蔭ニ廻リテ●●ノ風評ヲ発シ華労ノ待遇ノ良キ点ヲ指摘シテ逃亡ノ具ニ使用。犯人不明ノ盗難ノ如キモ華人ノ如ク喧伝ス。暫時中間期ニ…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(18)

三、事業場ノ態度 (一)概要 華労取扱ニ付テハ直接主任者並ニ担任者現場員等ヲ厳選シ華労ニ対シ理解ヲ有シ習慣及生活ヲ経験セル者ハ熱意ヲ有シ実践力ヲ有スル者ヲ任ジ、率先垂範真摯ナル労務管理ヲ履行セシメ、酷使、虐待、暴行等ヲ禁止セシム。 (二)契約…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(17)

五、華労ノ態度●●ノ態度 一、概況 就労中ハ俘虜者又ハ華人ト云フ点ニ於テ態度●●満順ニシテ明朗殊ニ日人ニ対シテハ敬意ヲ払ヒ勤勉ニ就労ス。・・・(判読不能) 二、華労ノ態度 (一)概要 移入輸送中日本ニ対スル憧景ノミニシテ従順明朗、就労中ハ勤勉ニシテ…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(16)

三、給與待遇 (一)概要 給與算定ハ書記担任シ勤怠簿稼動表個人別給付簿ヲ備付ケ現場出欠票ヲ現場係員ヨリ受領シ隊内勤怠簿ト照会ノ上記貼セルタメ賃金支払ハ正当且公平ニ実施ス。 (二)給與制度 契約通リ支給。支払方法ハ個人別手交セズ労工指導員立會、…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(15)

四、労務者及給與事情 一、概況 契約通リ華労一律ニ訓練期間一円、期間後五円ヲ支払●●●日鮮人ニ比較シテ高給ニシテ華労相互ニ於ケル優●熱心勤勉者ニハムシロ差額ヲ付スベキモノト思考ス。 二、労務事情 (一)就労ハ日鮮人労務者ニ比較シ低位ニ考慮シ日鮮人…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(14)

五、医療衛生事情 (一)概要 現場広範囲ニ渡ル屋外作業殊ニ重労働作業ナルニ付傷害件数モ多ク傷害●●モ多種多様殊ニ自己ノ不注意ニ依ル打撲、刺傷、擦過傷多ク疾病ニハ皮膚病、胃腸障害、気管枝(ママ)炎、結膜炎等多ク消化不良不衛生等の影響大ナリ。 (二…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(13)

四、食糧事情 (一)概要 神奈川縣食糧課ヨリ割当量ニ対シ協会指導員ト再三増配方ヲ懇請日参セルモ健康保持量ニ個室シテ許可サレズ。現場側ニ於テ受入責任者ニ泣訴現場出勤者…ニ闇ニテ入手セル米四人当リ一合甘藷又ハ馬鈴藷百匁当リヲ粥ニシテ給食ヲ受ク。 …

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(12)

三、被服事情 (一)概要 夏季作業衣ズボン一着ノ交付ヲ受ケタル他作業衣上下布団二枚ノ申請ヲセルモ配給ヲセラレズ華労モ良ク事情ヲ諒解シ古服、地下足袋ヲ使用シ、事業側モ地下足袋ノ回収ヲ実施シテ之ヲ交付ス。 (二)寝具 寝具不足ヲ補フタメ藁ノ回収ヲ…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(11)

三、受入施設及関係事項 一、概況 戦時中、集団労務者取扱ノ難事中食糧衣服医薬等ノ●不足最モ痛感セラルモノニシテ関係官庁ヘノ日参カラ別途購入ノ道ヲ構ズル(ママ)等之レガ入手ニ対シ八方劃策セルモ各事情ハ好転セズ徒ニ書類ノ関係官庁ヘノ持運ビニ過ズ衣…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(10)

三、配置状況 (一)移入后ノ就労ハ湛水ヲ控ヘタル砂利採取現場ニ重点ヲ置キ昼夜兼行ニテ砂利、砂ノ採取ニ労務ヲ集注湛水開始ニ到リテハ河原敷設ノ軌條、諸機械類、採取船ノ解体、撤収ニ就労。満水後ハ中●蓄積セル砂、砂利ノ運搬、撤収、機器ノ手入、格納ニ…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(9)

(六)上陸後受入状況 検疫完了後、夫々、上陸開始。水上警察署前ニ於テ全員ノ集結ヲ終リタル後下関駅前ノ假宿泊所ニ一旦休憩湯茶食事ノ給與後所定ノ列車ニテ出発ス。 乗車人員ノ都合ニヨリ二班ニ分割、事業場所轄ノ特高課員一名、縣外事課員二名出張出向ノ…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(8)

(五)輸送状況 供出側職員ハ真摯誠実ヲ旨トシ輸送ニ当リ受入側職員ニ注意ヲ與ヘ希望ヲ述ベ絶エズ医薬ノ心配食事ノ世話等華労ノ一人一人我ガ子ノ如ク世話ヲナス。又受入側職員ハ勿論附添指導員ヲ補助シ華労ニ対シテハ公平ニ接シ、労工指導員ノ言ヲ俟ツマデモ…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(7)

(二)募集状況 契約人員二九六名募集地ハ済南北京両訓練所訓練生ニシテ華北労工協会ノ指示通リ事業場側引率者之ヲ受領ス。 (三)応募者ノ素質 年令十六才ヨリ四十才迄ノ身体強健ナル者ヲ選抜ス。山東省、河北署ノ出身者九十五%ナルモ済南、北京両地区ニ於…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(6)

二、移入配置及送還事情 一、概況 青島乗船後海上平穏ニシテ無事航海ヲ終リタルモ、俘虜生活中ノ営養失調過度ノ船中疲労ニ依リ下関入港後、風雨ノ都合ニテ下船遷延セル際、船中ニテ死亡者三名翌日下船ニ至リテ検疫所ニ於テ死亡者一名ヲ出ス。事業場側ヨリ出…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(5)

移入ニ際シテハ事業場職員五名、華北ニ出張、三名北京訓練所ヨリ一九六名ヲ受授(ママ)シ、他ノ二名ハ済南訓練所ヨリ一〇〇名受授(ママ)ス。 青島乗船ヨリ労工協会指導員、日華係各一名附添フ特ニ済南訓練所ヨリ元俘虜(訓練生)二名及之ニ日系労工協会員…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(4)

三、華労関係者 宿舎、労務管理ニ対シテ事業場側ヨリ直接(?)担任主任者一名ヲ配シ、補佐トシテ給與担任者一、管理助手一ヲ配ス。労工協会ヨリハ日系指導員一、華系指導員一(通訳)ノ専属駐在勤務ニ依リ主トシテ対事業場、対華労側ノ労務、宿舎ノ管理ニ当…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(3)

二、事業場概要 原則トシテ華労ハ日鮮人ト其ノ職場ノ隔離ヲ要スル故、単一ナル業種ヲ必要トスル関係上、之ガ配置ハ混凝土骨材ノ採取ヲ擔当セル渡辺、佐々木組ニ配属セシム。業務ハ主トシテ、前記骨材ノ砂、砂利等ノ現場採取ニシテ湛水ヲ了セバ湖底トナル勝瀬…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(2)

報告内容(調査項目) 一、事業場及関係者 一、概況 本工事ハ昭和十六年六月着工ニ係ル神奈川縣営相模川河水●●●●土木工事ニシテ、與瀬町地先ニ相模北堤ヲ築造シ上流一帯ニ一大貯水池ヲ造成シ、河水ヲ調整スルト共ニ堰堤落差ヲ利用シテ発電ヲナシ、更ニ下流ニ…

熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書(1)

相模湖に中国人を強制連行した熊谷組與瀬作業所の就労顛末報告書の資料紹介です。外務省公文書館でコピーしたものをもとにしました。文字がかすれていて読み取れない個所も多数ありました。漢字は原文のママですが、句読点は適宜補っています。 昭和二十一年…

相模湖の中国人強制連行(21)

1945年11月27日、約2100名の労工は、捕虜交換の形式で、松本市から列車に乗って出発し、博多港を出港し、12月7日に青島に帰りました。 「この732日は、一生のように長い日々だった。故郷に足を踏み入れて、身内に会った。隔世の感で、夢のようだ。生きて帰れ…

相模湖の中国人強制連行(20)

抗争は明らかに効果があり、形勢が変わり、日本人は中国人の生活を改善することを承諾しました。 「各人に1日にあたり米あるいは小麦粉を1キログラム、いくらかの服装と綿入れの掛け布団が提供され、さらにあきらかなうそだが“給料”もだした。同意もなく、…

相模湖の中国人強制連行(19)

8月下旬、千人余の警官と市民が労工隊を包囲し、鎮圧しようとしました。これにたいし、中国人らも鉄棒や棍棒を持って対峙し、一触即発の事態に発展しました。米軍が表に立って、労工隊に市内の治安を乱すなと説教しました。 「その時つれてこられた日本人通…

相模湖の中国人強制連行(18)

中国人らが日本の投降を知ってからは、公然とした闘争をおこなうようになりました。労工を組織して松本市の中心街をデモ行進し、日本政府の残虐さを糾弾しました。さらに「中国人の中の腐敗分子を清算した」と、朱文斌はいいます。 「隊長の馬盤根(河南人)、…

相模湖の中国人強制連行(17)

朱文斌が「秘密裏の抵抗闘争」として挙げているのが、トロッコをひっくり返して作業を中断させることでした。 「採掘した石を車に積み込むため、山の上に引っ張りあげた。山頂には1台の機械があって、石を大きさによって分け、1本のレールに沿って運んで下り…

相模湖の中国人強制連行(16)

朱文斌は、8月15日のことを次のように語っています。 「8月15日、突然仕事をしないと告げられた。毎日の旗の掲揚の儀式も取り消しになった。新聞を探してきて見ると、日本は投降したとあった。悲惨な待遇を受けていた400数名の労工は、屈辱と怒りを抑えるこ…

相模湖の中国人強制連行(15)

相模湖の中国人たちは、1945年7月13日に松本に移動させられました。朱文斌は、松本での日本の敗戦までの2カ月を次のように語っています。 「1945年6月ころ、隊全員は松本市に移動させられた。さらに200名が増えた」 外務省報告書の「華人労務者移入・配置…

相模湖の中国人強制連行(14)

相模湖の地形図です。上は、1932年10月30日大日本帝国陸地測量部発行。

相模湖の中国人強制連行(13)

相模湖に来た300人の中国人の宿舎は、現在、相模湖公園になっているところにありました。中国人は、2手に分かれて相模湖と、4キロ下流の沼本(津久井湖ダム)で作業をおこなっています。 たびたび逃亡がおこったようですが、朱文斌は「5名の労工は、このよう…