辺野古判決と司法の反動化

 「伊江島の米軍基地機能強化(4)」で、福岡高裁那覇支部判決(「不作為の違法確認訴訟」)の「都道府県すべての知事が埋め立て承認を拒否した場合、国防・外交に本来的権限と責任を負うべき立場にある国の不合理とは言えない判断が覆されてしまい、国の本来的事務について地方公共団体の判断が国の判断に優越することにもなりかねない。・・・国の説明する国防・外交上の必要性について、具体的な点において不合理であると認められない限りは、被告(沖縄県)はその判断を尊重すべきである」というくだりについて若干触れたが、もう少し補足したい。
 友人が、「翁長知事が埋め立て承認処分の撤回をやって再び国に訴えられたとき、福岡高裁那覇支部の裁判長が別の人に代わっていれば、希望あるかもね」と言っていた。今回の判決より少しはましかもしれない。しかし、私が危惧するのは安倍内閣の下での司法の反動化という面がどの程度あるのかということである。
 戦争法が国会で大問題になったとき、ほとんどの学者が立憲主義否定の安倍内閣を痛烈に批判し、安倍内閣の立場で発言する学者はほんの一握りだった。それだけに安倍内閣は必至の立て直しをしてきているのではないかと気になっていた。この面での弁護士先生の話を聞いていないので、定かなことは書けないが、不安に思う材料をあげれば、厚木基地騒音訴訟2審判決の見直しの動きである。
 「共同通信」の記事だったか、
「米軍と海上自衛隊が共同使用する厚木基地(神奈川県)の騒音被害を巡り、周辺住民が国に夜間・早朝の飛行差し止めや損害賠償などを求めた第4次訴訟で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は15日までに、飛行差し止めを求めた行政訴訟について、10月31日に上告審弁論を開くと決めた。年内にも判決を言い渡す見通し。最高裁は通常、二審の結論を変更する際に弁論を開く。午後10時~翌日午前6時の自衛隊機飛行差し止めを命じた二審東京高裁判決が見直される可能性がある」(9月15日)
という報道があった。

 米軍機の差し止めは認めず、自衛隊機の差し止めは認めた判決である。
 神奈川県の厚木基地は、空母艦載機による騒音が深刻で、比重的には自衛隊機の騒音はわずかである。最大の被害原因を取り除かないため、きわめていびつな構造の判決で、なぜそうなったかといえば安保条約上、差し止めはできないが、国内法が適用される自衛隊機は止められるというものだった。
 その判決を見直すのだから、国防が最優先されなければならず、自衛隊機の飛行差し止めは他の判例と著しく齟齬をきたすとして、取り消すのではないだろうか。
 つまり自治体にせよ、民間にせよ、安全保障上のことについてはがまんせよ、そういうことを明確にするのではないか。辺野古も厚木も、最高裁の意思がそういう方向を示していて、あのような辺野古の判決になったのではないか。
 この不安が当たっているとすれば、司法の反動化を許さない声を、本土と連携してあげていく以外にない。