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沖縄戦訴訟控訴によせて(2)

 戦後補償裁判のなかで、この「国家無答責の法理」は破たんしたように思っていたが、そうではなかったようだ。
 中国人強制連行事件花岡訴訟は、裁判所の強い意志があって和解が導かれたが、その時の裁判所の所感は、次のようであった。


[東京高等裁判所第17民事部・新村正人裁判長が原告・被告双方に示した所感]
 控訴人らは平成七年(一九九五年)六月二八日東京地方裁判所に本件損害賠償請求訴訟を提起し、被控訴人はその法的責任を争ってきた。控訴人らの主張の基調は、受難者は、第二次世界大戦中の日本政府の方針、すなわち戦時中の労働力に不足に対するため中国人俘虜等を利用するという国際法に違反する扱いによって強制連行され強制労働に従事させられるとともに虐待を受けたというものである。これに対し、被控訴人の主張の基調は、花岡出張所における生活については、戦争中の日本国内の社会的・経済的状況に起因するもので、被控訴人は国が定めた詳細な処遇基準の下で食糧面等各般において最大限の配慮を尽くしており、なお、戦争に伴う事象については昭和四七年の日中共同声明によりすでに解決された等というものである。
 控訴審である当裁判所は、このような主張の対立の下で事実関係及び被控訴人の法的責任の有無を解明するため審理を重ねて来たが、控訴人らの被った労苦が計り知れないものであることに思いを致し、被控訴人もこの点をあえて否定するものではないであろうと考えられることからして、一方で和解による解決の途を探ってきた。そして、裁判所は当事者間の自主的折衝の貴重な成果である「共同発表」に着目し、これを手がかりとして全体的解決を目指した和解を勧告するのが相当であると考え、平成一一年九月一〇日、職権をもって和解の勧告をした。
 広く戦争がもたらした被害の回復の問題を包む事案の解決には種々の困難があり、立場の異なる双方当事者の認識や意向がたやすく一致し得るものでないことは事柄の性質上やむを得ないところがあると考えられ、裁判所が公平な第三者としての立場で調整の労をとり一気に解決を目指す必要があると考えたゆえんである。
 裁判所は、和解を勧告する過程で折りに触れて裁判所の考え方を率直に披瀝し、本件事件に特有の諸事情、問題点に止まることなく、戦争がもたらした被害の回復に向けた諸外国の努力の軌跡とその成果にも心を配り、従来の和解の手法にとらわれない大胆な発想により、利害関係人中国紅十字会の参加を得ていわゆる花岡事件について全ての懸案の解決を図るべく努力を重ねてきた。過日裁判所が当事者双方に示した基本的合意事項の骨子は、まさにこのような裁判所の決意と信念のあらわれである。
 本日ここに、「共同発表」からちょうど一〇年、二〇世紀がその終焉を迎えるに当り、花岡事件がこれと軌を一にして和解により解決することはまことに意義のあることであり、控訴人らと被控訴人との間の紛争を解決するというに止まらず、日中両国及び両国国民の相互の信頼と発展に寄与するものであると考える。裁判所は、当事者双方及び利害関係人中国紅十字会の聡明にしてかつ未来を見据えた決断に対し、改めて深甚なる敬意を表明する。
                  平成12年11月29日
                        
 国の主張にくみせず、被害の回復および国際社会の理解をえる大きな視野で、和解の道を示した裁判長の見識に胸を打たれる。「沖縄戦」を担当した那覇地方裁判所に期待をするほうが無理だったのか。