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熊谷組与瀬作業所の孫式恒さんの証言(14)

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熊谷組がまとめた与瀬作業所での中国人の「公傷病者調書」。表の左から2人目のところに孫建宗の名前があり、けがの程度は「重傷」となっている。

 

 ――ここに熊谷組が作成した公傷病者調書があります。孫さんの名前も載っています。孫さんは、頭部に1カ月の重傷を負ったと書かれていますが、どうしてけがをしたのですか。

 (孫)詳しい状況は覚えていませんが、川のなかから石を採取したとき、転んでけがしたと思います。

 ――中国人は、作業中に足や指をけがすることが多かったようですが。

 (孫)私は、ひざのところは何か所もけがをしました。

 ――治療を受けましたか。

 (孫)病気になって仕事に行かないと、マントウを2個から1個に減らされてしまいます。

 ――病気やけがで仕事もできない状態の時に食事を減らされると、体力は回復しませんよね。

 (孫)そういうときは、死を待つだけです。

 ――与瀬作業所では何人亡くなりましたか。

 (孫)重い病気になって死ぬ人はいることはいましたが、そんなに多くはないです。中国の収容所に入れられていたたくさんのなかから体の丈夫な人が選ばれて、日本に連れてこられたのです。若い人が多く、年配の人は多くない。

 ――熊谷組の記録では、病気になった人は355人となっています。この人数は、与瀬作業所に連れてこられた人数より多い。ほとんどの人が病気になり、しかも何度も何度も病気になった人もいるということでしょう。

 (孫)1日の食べる量は、0・5㌔です。いっぱい食べられないので病気になるのです。

 ――病気の中では、疥癬(かいせん)が多かったようですね。孫さんも疥癬に苦しみましたか。

 (孫)そうです。

 ――体中にできたのですか。

 (孫)全身です。湿度が高くて慣れなかった。出会った人は、鼻をつまんでいました。

 ――川のそばでの作業だったので、川で体を洗うこともできたのでは。

 (孫)それはないです。監督する人がいて、できませんでした。

 ――その監督は、日本人ですか、中国人ですか。 

 (孫)両方です。

 ――疥癬に苦しんでいる人が多いので、許可してもよさそうなものですが。

 (孫)仕事場では仕事をするだけで、寮に戻ったら、閉じ込められて勝手に外にでることはできません。

 ――庭にも出られなかったですか。

 (孫)戻ったら部屋から出られなかった。

 ――錠をかけられたのですか。

 (孫)カギをかけられることはありませんでした。夜もパトロールする人もいます。