天津在日殉難烈士紀念館を訪ねて(7)

 天津在日殉難烈士紀念館では、もう一つ、調べたいことがありました。地崎組石門・済南隊(作業所は、伊屯武華・置戸・大府・平岸と移動)で亡くなった31人のうち、遺骨送還運動でだれの遺骨が中国に届けられたかを明らかにするということでした。

 戦争時に日本に強制連行し、強制労働をさせられた人たちにたいする謝罪と賠償を問題にするだけではなく、70年たったいまも遺骨に目を向けることは、被害者と遺族の要求にこたえることではないか――そう考えて、遺骨問題にもこだわっているのです。

 大府で亡くなった宋学海さんの弟の宋殿挙さんは、岩田地崎建設(当時・地崎組)との交渉の席上、「会社は兄の死亡について、ずっと説明してこなかった」と、その不義を難じました。なぜ兄が日本で死亡しなければならなかったのか、どのような状況で死亡したのか、遺族としてそのことを知りたい、と会社に説明を求めたのですが、同社はまったく説明できませんでした。宋殿挙さんの場合は、同郷の強制連行被害者が帰還時に遺骨を持ち帰り、宋さんの家族のもとに届けられましたが、父や息子が日本で亡くなったことを知らない遺族も多数あることでしょう。日本で亡くなった人たちの遺族をさがし、死亡時のようすについて説明をし、おわびすることは、強制連行問題の解決に欠かせないことではないでしょうか。

 天津在日殉難烈士紀念館には、大府で亡くなった5名と平岸で亡くなった8名(1名の遺体は未発見であるため、厳密には7名)の遺骨が保管されているという南守夫さんの中間報告が、そのまま確定したことが明確になりました。