相模湖の中国人強制連行(12)

   與瀬作業所では、292人が6班に分かれ、1日2交代で、24時間休まず水力発電所の建造を行いました。

  「仕事は砂や石を掘り、トロッコを押した。とても労力のいる肉体労働をさせられた。作業用の服も手袋も支給されず、傷を直す薬品もなく、安全措置もしなかった。毎日ただ7,8両のドングリの粉、円盤状に固めたマメかすを食べるだけで、だから、みなは顔色が悪くやせて、骨と皮だけだった。餓死しないため、道端で雑草を引き抜いて食べ、草の実を口にした。マムシも腹に入れた」

  警官と工事監督に見つかったら、殴ったり蹴ったりされました。それに反して、仕事をしない班長は昼ごろに食事をし、隊長は3度の食事は十分に食べたと恨みます。

  病気になると、仕事を休むため、食事は半分に減らされました。寮を追いだされ、臨時のアンペラ小屋に移されます。世話する人もないため、ただ死を待つだけだったといい、同郷の宗祥官もそうして飢えと寒さで死んだと朱文斌はいいます。