北海道の中国人慰霊碑(5)

杉山四郎『語り継ぐ民衆史』によると、元の説明板の記述はもう少し長い文章だったようだ。

<太平洋戦争中日本の産業労働力増強のため華北労工協会の募集に応じ芦別の石炭産業に就労した中国人は約1,200人に及んだが日本到着前から健康を害した者も多くまた長途の旅行伝染病等により療養の甲斐なく遂に本紙で他界した468柱の霊を慰めるために昭和39年6月旧墓地にこの碑を建立した/その後、昭和516月遥かに故郷中国を望むこの台地に移設したものである>

華北労工協会の募集に応じ」は、明らかに事実に反する。杉山氏は、その個所とともに「療養の甲斐なく」にも傍点を付されているので、強く疑問に思われていたのだろう。さらに重要な指摘をされている

<死亡した者は「468」人であると説明している。いつ芦別市に来たのかは記されてはいないが…太平洋戦争末期であろう。とすると、短期間に、大変な数の犠牲が発生したものである。39%、つまり5人に2人の割合である>

詳しいことは分からないが、このような指摘などがあって、叙述が変わったのだろう。「強制連行」「強制就労」という表現されたのは、大きな前進だ。しかし、死亡率39%ということに端的に表れている「強制連行・強制労働」の実態が伝わる説明というには程遠いように思う。