中国人強制連行問題解決への新たな展開(2)

しんぶん赤旗2013年12月25日付)

中国人強制連行問題 新たな展開<中> 愛知・大府飛行場

愛知・大府飛行場 兄の死、説明求める

 

 「愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」は2012年9月、第2次世界大戦末期に中国人496人を強制連行し、同飛行場で強制労働をさせた岩田地崎建設(当時・地崎組)に対し、謝罪と補償、記念碑建設を求めた生存者5人の「提訴書」を同社名古屋支店に手渡しました。しかし、同社は要求を拒絶し、今後このような要求には対応しないとしていました。

●補償解決はプラス

 支援する会は、13年9月、遺族の宋殿挙さん(71)=中国河北省威県=とともに札幌市の本社に赴き、直接要求を伝えました。加藤広史総務部はじめ4人が応対しました。

 宋さんは、「兄は、地崎組のために仕事をしていて亡くなりましたが、会社は死亡診断書もくれませんでしたし、68年たつのにいまだに私の家に来て説明することも謝罪をすることもしていません」と兄・宋振海さんの死亡にたいする説明を求めました。

 加藤氏は、「心から哀悼の意を表します」とのべつつ、賠償に応じないという従来の立場は変えられないと答えました。

 同席した元北海道訴訟弁護団事務局長の田中貴文弁護士や支援する会の南守夫代表(元愛知教育大学教授)が地崎組の強制連行・強制労働の実態を明らかにするとともに、戦後補償問題を解決することは、企業が海外展開をする上でプラスになることを説きました。

 加藤氏は「われわれの入っている団体がそういう方向(和解の方向)に動く可能性はゼロではないと思っております」「きょう要求されたことは、真摯(しんし)に受け止めさせていただきたい」と答えました。

 しかし10月に届いた回答書は、哀悼の意を示す言葉はありましたが、賠償に応じないことを改めて表明したものでした。

 南氏は、「裁判終結後に、未解決の問題として直接企業に補償要求をおこなったという意味で意義のある交渉だったと考えています」といいます。1年前に比べて、企業の側に一定の変化が見られたことについて、「中国から遺族が来日したことが大きかったと思います。韓国の朝鮮人強制労働裁判で、新日鉄住金三菱重工に賠償命令があったことも影響したのでしょう。しかし、それは『前向きの変化』と呼べるようなものではなく、内外の反応と動向を見ていたのだと思われます」と話しました。

●被害者要求は当然

 愛知県で中国人強制連行問題のとりくみが始められたのは、強制連行裁判がほぼ終わった07年ころからです。09年以降、毎年9月に大府飛行場で亡くなった中国人5人を追悼し、10年3月には、生存者から聞き取りをおこなうために調査団を派遣。さらに11年の追悼式では被害者2人、13年には遺族1人を招きました。

 支援する会は、「被害者の要求は、不法行為に苦しんだ人間としての当然の訴えです。その要求の実現は、日中関係の改善に貢献するだけではなく、国籍を問わず、労働者の人権侵害を許さない社会を目指すという意味で私たち日本の社会のためでもある」としています。

(つづく)

 

地崎組は、44年3月、河北省と山東省などから496人の中国人を連行し、北海道の水銀鉱山や愛知の大府飛行場(大府市東海市)建設などに使いました。