米機による平岸中国人寮への救援物資投下(2)

地崎組が戦後、外務省に提出した報告書のなかに「米機飛来投下物に依る暴行事件」という件名の「紛争顛末書」がある。

「(9月)11日昼頃米機2機平岸上空に飛来し華人宿舎に低空し慰問箱2個を投下し立ち去り、午後3時頃更に7機飛来し数十個の慰問品を投下し赤平方面に向け飛去さりたり。然して12日午前1030分頃米機約40余機飛来し全機より慰問の投下ありたり為に華人全員は投下物品収集のため大混雑を来したり」

同報告書は、この混乱のなかで、「滝川警察署小川和好巡査は飛散せるに依り之を引渡すべく物品を蒐集」したが、自分たちのために投下された物資を日本の警察にとられたと誤解した中国人に追いかけられた。この事件を目撃した滝川警察署次席村上警部や応援の警備軍隊中田少尉が取り囲む中国隊のなかに入って制止しようとしたが、棍棒などで殴られ乱闘となったとし、村上警部は前頭部裂傷右肩打撲で全治3週間、大川警部補は左平甲及び拇指捻挫全治1週間、中田少尉は頭部及び大腿部打撲傷右手人指し裂傷全治2週間のけがを負ったとしている。

 

この報告書は、外務省に提出するためにつくられた公的文書であり、警備にあたっていた警察官と少尉が負傷していることから、細部の事実関係はともかくとして、米軍機が大量の救援物資を中国人寮に投下したこと、そのためにおおさわぎになり、そのなかで警察と中国人との間で乱闘がおきたことは間違いのない事実と考えて良いだろう。近くの米兵捕虜収容所に投下した際に、風に流れてきたのではないかという見方もあるようだが、投下された量から見て、それは否定されざるをえないであろう。