地崎東川の個人別給与精算表(9)

  給与制度と支払い方法については、「訓練中ハ何レモ定額日給制度其ノ後就労期間中ハ(役付ノミ月給)定額五円ノ日給制ヲ採用セリ。給与の支払方法ハ毎月支給スベキ賃金及要求ニ依リ乃至ハ当然徴収スベキ金額ヲ明確ニ記載シ差引交付額ヲ算出シ置キ皈還(帰国)ニ際シ一括情算[精算]セリ」としている。また、給与を月ごとに支払わなかった点については、「帰国ニ際シ一括支払セリ。右取扱ニ関シ華労側ニ於テモ異議ナク最後迄物議ヲ醸シタルガ如キコトナシ」「月々ノ現金支給ヲナサザルモ計算書ハ毎月的確ニ作成シ之ヲ閲覧セシメ終戦後一括情算[精算]ニ際シテハ金利を附シ交付セリ」とことわっている。

 死亡者の賃金精算については、「七十八名ハ火葬トシ遺骨ノ内第二中隊長王東昌ノ分ハ隊附書記楊霊光ガ平素懇意ノ故ヲ以テ遺骨及弔慰金(三五〇円)稼働賃金精算額(四七六円一三)合計金八百二十六円十三銭共捧持帰国方申出タル・・・遺骨並ニ金一千円ヲ手交セリ」「残リ七十七体ノ遺骨ハ東川村最照寺ニ安置シアリ隊員帰国ニ際シ捧持送還方交渉セルモ拒否セラレタル為其筋トモ協議ノ上官憲ノ指示ヲ得タル上善処ナス方針ニテ現ニ遺骨ハ前記最照寺ニ安置シ弔慰金及賃金精算額ハ本社ニ保管中ナリ」としている。

 ここで確認できるのは、第二中隊長王東昌分は隊員が強く要求して死者の賃金と弔慰金が支払われたが、それ以外の77人の賃金・弔慰金は支払われていないということである。「本社に保管中」の金は、その後、遺族に届けられたのであろうか。一九五三年の第二次遺骨送還のときに法城寺に保管されていた東川の88柱および第七次送還のときに東川関係の5柱が送還されているが、これらに際して賃金や弔慰金が訪中団に託された形跡はない。したがって地崎本社に「保管」されたままだということになろう。

 西成田豊氏は、「死亡者の弔慰金と賃金は、隊長に預けられるばあいと、中国人連行組織である華北労工協会、日華労務協会に預けらればあいの、二通りの形態があった」ことを示し、鉄道工業神威出張所など5出張所で支払われているが、「ほとんどの事業所がこの点についての言及を欠いていた…屍とともに葬りさられた」としている。

  地崎組東川は、西成田が例示した5出張所には入っていない。見落とされたか、無視されたのであろう。