地崎東川3-4月の日誌 作業場は戦場(1)

3―4月の日誌 「作業場は戦場」

3月17日、日誌は「点呼後、隊長、副隊長、中隊長三名集合シ、能率増進計画に対シ山崎指導長ヨリ別紙計画通リ説明。十九日ヨリ出勤率を期待ス」と中国隊指導部に強く出勤率向上を求めた。

18日には副隊長立ち会いのもと医師の診断を行った。日誌は、「栗城医師ノ来診アリテ副隊長ノ立会ノ上明日ヨリ稼働可不可ヲ決ス(但シ病休者ノミ)本日ノ診断者七五名ノ内稼働可ナル者三八名ヲ見ル」と記載している。この日の「雑役出動」2人、「休養」48人、「入室」23人であり、栗城医師はこの75人を診断し、うち38名は就労できると宣告した。それを根拠として副隊長は、翌日、作業に駆り出したのである。19日の日誌には、「出働人員隊長以下一九五名(注・隊員+大隊本部の人員)。医師ノ診断ノ結果」と記述されている。

さらに山崎指導長は日系幹部の会合を開き、指導方針の統一を図った。そのなかで「作業場則戦場」と発言をしている。

このように中国隊指導部に出動率向上を求め、医師の診断を中隊長立ち会いで行い、休養者を認めないよう圧力をかけた。