中国人強制連行被害者遺族、岩田地崎建設と交渉

 中国人強制連行の被害者遺族 補償求め企業と交渉 

                          2013年9月13日 しんぶん赤旗 

 第2次世界大戦末期の1944年、中国から日本に連行され、北海道と愛知県で強制労働をさせられ、愛知県の旧大府(おおぶ)飛行場(東海市大府市)の滑走路拡張工事で亡くなった宋振海さん(当時27)の弟・宋殿挙さん(71)=河北省威県在住=が12日、札幌市に本社のある岩田地崎建設(連行当時は地崎組)と、謝罪と補償を求めて交渉しました。

 宋殿挙さんは、「愛知・大府飛行場中国人強制連行被害者を支援する会」や中国人強制連行・強制労働北海道訴訟弁護団の田中貴文弁護士らの協力をえて同社との話し合いに臨みました。

 宋殿挙さんは「7人きょうだいの一番上の兄が日本に連行され、家族はたいへん貧しく困難な生活を余儀なくされました。会社は死亡診断書もくれず、説明もしていない。兄のことについては、働かせたあなたたちからではなく、中国河北大学教授の劉宝辰先生や日本の友人から聞きました。もちろん一円の補償も受けていません。これでいいのでしょうか」と訴えました。

 被害者を支援する会の南守夫氏(愛知教育大学元教授)は、「岩田地崎建設は『裁判所におきましても、当社は損害賠償の責任はないとの判断を受けている』とのみ述べて、不法行為に対する遺憾の意も、人道的責任にたいしてもまったく無視しているが、日本の社会も国際社会もこのような不誠実な対応を容認しないでしょう」と指摘しました。

 同社は、被害者らの訴えや強制連行の実態を1時間にわたって聞き、「要求されたことは真摯(しんし)に受け止めたい」と答えました。

 

1年半の間に31人が死亡

 地崎組によって日本に連行された宋振海さんら496人の中国人は、過酷な日本への移送と重労働、虐待や病気によって連行された1944年から45年の帰国までの1年半の間に31人が死亡しています。

 宋振海さん(日本での名前は、宋学海)が死亡したときのもようについて華人労務者宋学海死亡顛末(てんまつ)書」には、「切土運搬作業中高さ二㍍より土塊崩壊しその下敷きとなり」、重傷を負ったとし、医師の診断の結果、「脊椎捻挫とのことにて早速宿舎に運」んで看病したが「(45年)十九日ついに死亡」と書かれています。

 宋振海さんとともに日本に連行された許東民さん(2010年死去)も、「発破をかけて硬い土石を爆破するので、作業者が逃げろと叫んだが、たぶん宋学海には聞こえず、埋もれて亡くなった」と証言しています。