「赤平合衆国」といわれるほど多かった捕虜と強制連行(6)

『ズリ山』の紹介を続けます。

 長屋から遠く離れた空知川ぞいに、にわかにつくったバラックの大きな建物ができていた。しかし、大きいといっても長屋と比べたもので、二八四人を入れるには小さすぎるものだ。畳一枚に二人寝ても、まだたりないぐらいなのだから……。朝鮮人の寮と比較するなら、朝鮮人の寮がはるかによい、というものだ。

 会社では、この建物のことを“華人収容所”と呼ぶことにしたが、オレは“牢獄”と呼ぶ。事実、収容所でなくて牢獄だと思うからだ。

 オレは“牢獄”を見ないように決めた。見るのが怖くて恐ろしいからだ。また、オレの炭鉱にこんなものがあるのがはずかしくてならぬからだ。ところがどうしてか見てしまう。

 朝、起きる時刻に一分でも遅れるとムチ、行動がだらっとしているといってまる太ん棒、歩く姿勢が悪いといってなぐられ、また、隣の仲間と話ししたといってムチ。働きに行った現場でも、仕事がのろいといってまる太ん棒、能率が上がらないとムチ、ころんでけっとばされ……。それになお、保安の不備から起こる当然の事故でも「チャンコロが、わざとやりあがった!」といってムチを振るった。

 一日中が制裁の嵐でやむことがないありさまだ。

 事故はよく起こった。命も失っていった。

 だが、それらの多くは発表されず、もみ消されてしまった。落盤事故でうばわれた命が、そのままその場で処理されてしまったりもした。まるでふみつぶされた虫のように。

 “働かせるんだどんなことをしても、死なんていどにな! 殺してしまってはダメだぞ” ニホンジンの声なのだ。

 医師の堂上さんから聞かされた話なのだが……。

 「中国人労務係から死体検査を頼まれてわたしは華人収容所へいってきたんだが、それはもうたいへんな驚きだった。わたしが調べる死体は土間のすみに、ムシロをかけて寝かしてあったが、そのムシロをはぐと、銀バエがいっせいにブーンブーンと音をたてて飛び散るんだ。

 死体はやせ衰えて、わたしには六十歳ぐらいにしか思えなかったんだが、名簿によると四十五歳になっている。

 死因は、明らかに極度の栄養失調と過労、ほとんどといってよいぐらい食べるものをあたえていなかったみたいだ。

 からだをみると、今まで働いたり、なぐられたりしてできた傷がたくさん、それもその傷には、手当もしたことがないらしく、傷口は化膿してしまっているんだ。そして、その化膿した傷口からウジが、うようよ動きまわって……。