強制連行の基地となった塘沽港(5)

[地崎函館の被害者・張瑞英]

私達が連行されたところは、海岸近くの冷凍会社だ。そこはすべて木造で、壁さえ木だ。家の中は大部屋で、板で寝床が作られていた。私達が入った時、そこには最低でも200300人いた。

気候はすでに寒くなっていて、私達は綿入れの服を着ていた。しかし、夜になって日本人は、私達に服を全部脱がせた。そして服を縛ってもって行き、倉庫に保管した。私達は素っ裸で凍えるような寒さの一夜を過ごした。翌日、私達にいわゆる綿服を支給した。服を手に持って少し振ると、中の綿は下のほうに落ちる。外側と内側の布があるだけで、単の服と同じだ。私達は凍えて震えていた。毎朝、私達は点呼に行った。海岸では、海風が吹くと、とても寒く、耐え難い。夜寝るときは服をもっていかれ、翌朝また返された。服を着る時、みんなは奪いあって着た。1本の綿入れのズボンを2人がひっぱりあい、半分に引き裂かれたズボンをはいた。それでも着なければならないので、足に縛りつけた。これでは冷たさをいくらも防げない。

食べものは、トウモロコシの粉でつくったウオウオトウで、すべて黒色だ。食堂で蒸した後、外で地面に置いて、凍らせたものだ。各自にダイコン一切れと漬け物が出た。飲み水はなかった。各部屋には、2つの桶に入ったスープが配られた。どんな具が入っているか分からなかったが、喉が渇いて我慢できなかったので、奪いあって飲んだ。飲めたのは1口で、飲めないものもいた。

私達はそこで半月過ごした。周りは電力網が張ってあり、門には銃を持った日本人が見張りに立っていた。銃には着剣をしていて、外へ出ようとすると打ち殺される。だからみんなはあえて逃げようとしなかった。