裁かれた済南新華院(10)

最後に元日本兵の証言を見ましょう。第59師団の高級副官であった広瀬三郎の証言です。

<一九四四年二月下旬軍命令により師団司令部は済南に移駐し四月上旬軍の河南作戦の為め出動の后従来軍に於て管理してゐた捕虜収容所(別称新華園)を師団が実質上管理することになりましたか管理主任者たる後方参謀は尚経験不充分なるを免れす私としては積極的に之れを援助すへきてあつたに不拘之を怠り当時の劣悪なる捕虜に対する待遇給養の改善監督に付補佐せなかつたため中国人捕虜の栄養低下による患者及死亡者の多発をも放置して顧みさるの罪悪を犯しましたその消耗数は毎月月報に参謀后方に於て調査記載してあつたにも不拘充分点検することすら怠るの罪悪を犯したものてあります>

と、新華院での捕虜虐待について、供述しています。また、

 <捕虜中当時日本に於ける労力不足を補ふため労工として送致するの罪悪の一半を犯しました即ち私の記憶ては二回(毎回約三百名)計約六百名を日本に送致する書類(后方参謀作製)を一閲し参謀長職印を捺して発送せしめたものてあります当時私は日本へ全員送られたものと思つて居りました>

                            (『侵略の証言』)

済南新華院が強制連行に関係したことを明示する証言であり、たいへん貴重です。「捕虜を日本に送る書類」をぜひ見たいですね。(この章終り)