鉄格子に入れられた裸の戦争孤児

 「檻に入れられた子どもの写真をご覧ください」

 11月11日に東京大空襲・戦災資料センターで開かれた「戦争孤児たちの戦後史研究会」で、東京大空襲で両親を失った元木キサ子さんは、一枚の写真を取り出しました。

 それは、10人ほどの「浮浪児」が裸で鉄格子に入れられている写真で、1945年にお台場で撮影された毎日新聞の写真です(おそらく版権は毎日新聞社にあるのでしょうが、インターネットでも見ることはできます)。

 戦災資料センターの研究員にこの写真のことを聞きましたが、「お台場の孤児たちに関する研究は、されていないのではないでしょうか。鉄格子に裸で入れるというのが国・都の方針だったのか、ここだけのことだったのか、また、お台場が一時的だったのか、一定期間、子どもたちを収容したのか、分かりません」といいます。研究会の何人かにも聞きましたが、分かりませんでした。

 『図録 東京大空襲展2005年』は、そのお台場の写真のほか、1947年の浮浪児狩りの朝日新聞の写真も紹介している。児童福祉法は1947年12月に制定されているので、同法が策定される過程で、こうした戦争孤児にたいする施策のあり方は、どのように議論されたのでしょう。

 元木さんは、「浮浪児は、統計では孤児に入っていないようです。しかし、餓死、凍死など過酷な環境に浸かっていました。上野周辺に集まっていた子どもたちを、国は浮浪児狩りといって、1匹、2匹といって集めていたんですよ。これが、国が起こした戦争で親を奪われた子どもにたいする国の仕打ちです。人格も権利もない」と厳しい言葉を繰り出しました。

 家を焼かれ、両親を失い、生きるすべもなく、放り出され、戦後70年余りを生きて来た孤児たちの思いです。当時の、日本の児童施策がどのようであったのかを調べる必要があると思います。