元徴用工判決(2) 個人請求権は放棄したのか

  新日鉄住金事件についての韓国大法院は、日韓請求権協定で個人請求権まで放棄されたかどうかについては、次のような判断をしている。

  <1965年に韓日間に国交が正常化したが、請求権協定関連文書がすべて公開されていない状況において、請求権協定で大韓民国国民の日本国または日本国民に対する個人請求権までも包括的に解決されたとする見解が、大韓民国内で広く受け入れられてきた事情など、その判示のような理由を挙げて、この事件の訴訟提起当時まで原告らが被告を相手に大韓民国で客観的に権利を行使できない障害事由があったと見ることは相当であるため、被告が消滅時効の完成を主張して原告らに対する債務の履行を拒絶することは著しく不当であり、信義誠実の原則に反する権利の濫用として許容することはできないと判断した。> 

  日本政府は、この判断を不当と批判し、場合によっては、国際司法裁判所に訴えることもあると表明している。国際的に司法判断を仰ぐときに二つの事が問われるのではないかと思われる。その一つは、日韓請求権協定を締結する過程についての日韓間の協議内容を日本政府が秘密事項にしてきたことである。韓国政府は韓国国民の請求に応じる形で公開したが、日本政府はそのことを激しく批判した。もう一つは、日本政府は個人請求権について歴史的にどのように扱ってきたかという点である。この点について、シベリア抑留問題に関連して次のような国会答弁をしている(平成3年3月26日、参院内閣委員会)。

 

  ○翫正敏(いとう・まさとし)君 これは裁判にもなっている件だと思うんですけれども、裁判の中で裁判長も、シベリアに限ってどうして払わないのか理由を示してくださいというふうに法廷の中で言われた、こういうふうに印刷物に書いてあるんですけれども、やはり請求権を放棄したから関係ないんだというふうに兵藤局長が答弁されている。こういう考え方は基本的に私はおかしいと思うんですが、前向きにこれを変更していくというそういうお考えはお持ちでありませんか。

  ○説明員(高島有終君) 私どもが一貫して御答弁申し上げてきております点は、あくまで法的な側面に関して御説明申し上げてきているわけでございまして、そしてその法的な側面について申し上げますと、日ソ共同宣言第六項におきまして請求権を放棄しており、これはサンフランシスコ平和条約第十九条におきます請求権の放棄と同様のものでございまして、このような形でいわゆる戦争請求権を放棄したことについては国に法的な補償の責任はないというのが従来からの政府の一貫した見解でございまして、また最高裁判所等でも同様の判例があるというふうに承知いたしております。

 

  このやりとりのあと、翫議員がさらに個人請求権はどうかと詰めて聞いた。

 

  ○翫正敏君  条約上、国が放棄をしても個々人がソ連政府に対して請求する権利はある、こういうふうに考えられますが、これは外務省に答弁していただけますか。本人または遺族の人が個々に賃金を請求する権利はある、こういうことでいいですか。

○説明員(高島有終君) 私ども繰り返し申し上げております点は、日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。

 

  旧日本兵が第2次大戦後、シベリアに連行・抑留され、強制労働をさせられた件で、その労働に対する対価をソ連(現ロシア)政府に請求しようとしていたことに対し、日本政府は、明確に個人請求権まで放棄したのではないと説明していたのである。この日本政府の見解をダブルスタンダードだと指摘する声は以前から出ていた。日韓請求権協定に関して、両国間での解釈の食い違いが起きれば、両国間で協議し解決すべきということになるが、国際司法裁判所での判断ともなれば、このダブルスタンダードを不問に付すことはできないのではないか。