韓国大法院の元徴用工裁判判決(1) 人権侵害救済を出発点に

 10月30日の徴用工として日本で働かされた4人の訴えにたいする韓国大法院(最高裁)判決について、日本政府は激しい批判を続けている。しかし、批判をする前に、そもそも元徴用工が訴えるような歴史的事実があったかどうか、そこから話を始めるべきではないか。

 訴えの概略をみよう。

 

 原告A:旧日本製鉄は、1943年頃、平壌で「大阪製鉄所で2年間訓練を受ければ、技術を習得することができ、訓練終了後、韓半島の製鉄所で技術者として就職することができる」とう募集広告を出した。この広告を見て応募。旧日本製鉄の大阪製鉄所で訓練工として働くことになった。大阪製鉄所では、 1 日 8時間労働で、炉に石炭を入れて砕いて混ぜたり、鉄パイプの中に入って石炭の残物をとり除くなどの作業で、ひと月に1、2回程度外出を許可されただけだった。賃金の大部分を貯金させられ、その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させた。提供される食事の量は非常に少なかった。また、警察がしばしば立ち寄り、寄宿舎でも監視する者がいたため、逃亡を考えることも難しく、逃げだしたいと言ったのがばれて寄宿舎の舎監から殴打された。

 原告B:1941年、大田市長の推薦を受け、保局隊として動員され、旧日本製鉄の募集担当官の引率によって日本に渡り、旧日本製鉄の釜石製鉄所でコークスを溶鉱炉に入れるなどの作業をした。賃金は全くもらえなかった。最初の 6カ月間は外出が禁止され、憲兵が半月に一回ずつ来て人員を点検し、仕事に出ない者をけったりした。1944年、徴兵され、神戸で米兵捕虜の監視員をさせられ、戦後、帰国した。

 原告C:日本製鉄の八幡製鉄所で線路を切り替えるポイント操作と列車の脱線防止のためのポイントの汚染物除去などの作業に従事した。逃走がばれ、約 7日間ひどく殴打され、食事の提供も受けられなかった。賃金は全く支給してもらえず、休暇や個人行動を許されず、日本の敗戦後、帰国せよという旧日本製鉄の指示を受け故郷に帰った。

 

 元徴用工は、このような訴えをしているというと、「最近も同じようなことを聞いた」という感想を持つ人もいた。

 外国人の「技能実習生」のことである。賃金不払い、監禁、などなどが行われていた。そして世界から「奴隷労働だ」と厳しい批判を浴びた。その反省もなく拡大されようとしている外国人労働受け入れ枠拡大。70年前の徴用工問題は、その源流であり、今の日本が直面している課題でもある。

 植民地支配を行い、侵略戦争を遂行するために、日本国内の労働力不足を補うために連れて来た「徴用工」、この人権侵害にたいする被害救済なしに、日本は世界から信頼を得ることができるのだろうか。その信頼を勝ち得る努力をせず、「請求権放棄で解決済み」という言葉を何十回繰り返しても、一歩も前に進むことはできない。