沖縄戦訴訟控訴審判決(2)

 「国家無答責」と日本軍の不法行為について福岡高裁那覇支部判決がどのように扱ったかを見る前に、史実として日本軍がどのような不法行為をおこなったかを押さえておきたい。
  控訴人側は、国が責任を負うべき不法行為の一つに、1944年10月10日の大空襲での軍の無警戒を挙げている。米軍の空襲による被害は、東京大空襲をはじめとして日本全国で軍事施設・軍需工場だけでなく、東京・大阪などの大都市や地方の中小都市も無差別爆撃された。無差別爆撃は、第2次大戦当時であっても国際法上許されない行為とされていたはずである。日本軍の中国・重慶にたいする無差別爆撃が最初であったという指摘がなされている。その日本軍の無差別爆撃が、ブーメランとなって焼夷弾による都市への爆撃が行われ、最後は、広島・長崎への原爆投下となった。この歴史を直視するなら、無差別爆撃という反人道的な戦略攻撃を行った日米政府・軍は、責任を問われなければならない。那覇をはじめ沖縄全土でおこなわれた10・10空襲は、日本が受けた最も初期の都市無差別空襲であったと位置づけられる。同時に、この空襲は、ある程度予期されていたが、沖縄の現地軍は、まったく警戒をおこたっていた。10・10空襲で祖母を失った原告団団長の野里千恵子さんは、「空襲の前夜、軍司令官らは那覇市内のホテルで宴会をやっていて、なんの警戒もしていなかったことを本で読み、愕然としました」と語っている。この軍司令部の無作為により、那覇市内の一般住宅の9割以上が焼失した。
  しかし、この無作為はどこからきているかといえば、沖縄県民の生命を守るという思想が欠如していたことに由来する。地上戦は、硫黄島でも行われたが、全島民を避難させたうえで、1日でも長く、米軍を硫黄島に張り付けさせるための戦術としておこなわれた。沖縄では、この島民避難が極めて不十分であった。そればかりでなく、北部地域などで非武装地帯を設定し、そこに住民を疎開させることもできたであろう。地上戦での民間人被害をできるだけ少なくするための保護対策がまったく取られなかった。この点も日本軍の不法行為だと、瑞慶山茂弁護団長は指摘している。泣き出す乳児を殺害する、砲弾が飛び交う中で壕から住民を追い出すなど直接・間接的な住民殺害は明らかな不法行為であり、どんな軍国主義思想の持主であっても、これは容認しないに違いない。しかし、住民側は、日本軍の不法行為をもっと広くとらえて国の責任を問題としたのであった。