「たたかう民意」と総選挙(3)

 1区ではどうか。
 「比例(代表選挙)を軸に」ということが基本方針になっている共産党ですが、那覇市では比例選挙のことはほとんど言わず、「オール沖縄の赤嶺」と小選挙区に絞っていました。これで比例は共産党以外の政党(立憲民主党とか社民党とか)にと考えている人たちも無党派の人たち、保守のひとたちも「翁長知事を国会で支える候補者を」と、わが選挙のように思い、行動できる扉が開かれたのでしょう。県政与党の人たちだけでなく、辺野古に通う人も子育て中のママもマイクを持って応援したりしていました。歴史教科書に日本軍による強制集団死の叙述を求めて運動を長年続けているご高齢の方が、自宅のそばで毎朝、赤嶺がんばれとスタンディングをしておられましたが、こうした一人ひとりの市民が自覚的に選挙運動に加わった――これがラストスパートで相手候補を抜き去る力となったのでしょう。
 もちろん翁長雄志知事、城間幹子那覇市長、稲嶺進名護市長も連日、赤嶺候補の当選に駆け付け、街頭で声をからしました。知事と両市長が応援に立てば、赤嶺候補がまぎれもなくオール沖縄の候補であることが一目瞭然となりますから、大きな力になります。
稲嶺市長の応援を紹介しましょう。ある団地で応援に立ったとき、1枚の写真を取り出して、こう話しました。「この写真、覚えておられる方もあるでしょう。県外移設を掲げて当選した議員が、中央の圧力で公約を投げ捨てた。こういう人たちに沖縄の未来は託せない」。写真は、「平成の琉球処分」と呼ばれる2013年11月25日の自民党の石破幹事長の辺野古移設容認記者会見です。石破氏の後ろには沖縄県関係の5人の国会議員が座らされ、うなだれています。建白書を投げ捨て、辺野古容認に走った政治家を許すことはできないという、心の底からの怒りです。
 そういえば、昨年の参院選でも、自民党の候補者に写真をかざして、公約を破ったことを説明せよと迫る有権者がいたそうです。「島売りアイ子」と書いたTシャツを着て街を歩く人もいました。ある人曰く。「彼女は、真っ先に寝返った。沖縄担当相になれたのは、その論功行賞さ」
 シュワブゲート前に座り込んでいる人に話を聞くと、「家を出るのは朝5時すぎだが、4時には起きて準備する」といいます。これを週に3回、4回。すごいエネルギーです。機動隊の暴力的排除で、腕にあざができて痛くても座り込みをやめないといいます。平和への願いと怒りの蓄積が、政府の責任を問う選挙のときには、行動のベクトルに転換するのだと思います。
 4区の場合、あまり確かなことはいえないのですが、比例で奇跡的に復活した「策士」といわれる候補者の動きが報道されています。自民党候補との「票のバーター」です。こういうことがあってもそれを乗り越える選挙に、残念ながらできなかったということです。しかしそれにとどまらず、4区は全体的に自民党にリードされているという指摘も聞きました。 議席を奪い返すという自民党の執念に競り負ける部分があったということは、来年1月の名護市長選、11月の知事選にとって重要な教訓です。
 「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」。瀬長亀次郎さんの言葉です。全国の「友」の熱い支援を沖縄は待っています。