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「沖縄戦」控訴審始まる(1)

 「沖縄戦」被害・謝罪及び損害賠償請求控訴審が、きょう(9月6日)から福岡高裁那覇支部で始まった。地裁判決は、請求棄却の不当判決で、被害事実の認定も形ばかりで、おざなりのもの。「絶対に勝つと思っていた」という原告ら。高齢の体に鞭打つように歯を食いしばって裁判所に通い続けた原告らにはあまりに酷い判決だった。66名が控訴した。
 きょうの弁論では、弁護団長より先に控訴人の一人である金城ツル子さんが証言台で陳述した。
 1936年生まれの金城さんは、沖縄戦が始まったときはまだ8歳。6人兄弟の3女で、父は農業を営んでいた。何不自由ない生活を営んでいた。
 1945年3月ころ、戦争が始まる気配が強くなり、裏山の壕に避難。その後、普天間神宮の壕に避難した。そこも危険になり、叔父の墓に隠れたという。しかし、その墓の前庭にも爆弾が落ち、日本兵が逃げていく南部に避難を始めた。その逃避行は、艦砲射撃と空襲の中を、夜は照明弾と銃撃を避けながら進むというものであった。
 南風原陸軍病院の壕にたどり着いたのは5月末ころ。中は日本兵がたくさんいて、避難してきた住民らは壕の出入り口にいた。数日後、日本兵から「球部隊が来るから住民は出なさい」と命じられた。そのため、翌日、お父さんと叔父さんは壕を出て、隠れるための壕を堀に外に出た。壕を出てすぐ、お父さんは爆弾に当たり、即死状態だった。

 「父は日本軍から壕を追い出されなければ死ぬことはなかった。無念でならない」と金城さんは言った。