辺野古埋め立て承認取り消しの無効確認訴訟 原告の請求棄却

辺野古埋め立て承認取り消しの無効確認訴訟で、きょう(6月14日)那覇地方裁判所で判決が言い渡された。新聞報道では、「住民側の原告適格が認められるかが争点」としていたが、その「原告不適格」を理由に、原告の請求が棄却された。 

判決は、その原告適格性について次のような検討をしている。

① 原告らは、本件取消しによって侵害される権利として、本件承認がされたことにより、辺野古沖に普天間飛行場代替施設が完成し、普天間飛行場の移設が実現した場合に、普天間飛行場の危険が除去された環境の下で暮らすことができるという本件期待権を主張する。
② しかし、本件承認は、被告県が国に対して辺野古沖の埋立権を付与するものであって、普天間飛行場の近隣住民である原告らに対して直接に法律上の効果を生じさせるものではない。
③ 埋立法42条3項が準用する同法4条各号等の定めをみても、原告らが本件期待権の内容として主張する平穏な環境で生活する利益を個々人の個別的利益として保護すべきものとする趣旨を含むものと解することはできない。
④ さらに、普天間飛行場の移設が実現するか否かは、日米政府間の合意(前記前提事実 (2)ア)を踏まえ、実際に代替施設が完成した段階において日米政府間の交渉により決せられるものと考えられるから、原告らが本件承認がされた時点で普天間飛行場が移設されその危険性が除去されるとの期待を抱いたとしても、それはいまだ具体性に乏しいものである。
⑤ そうすると、原告らのいう本件期待権は、本件承認により生じた事実上の期待にすぎないものといわざるを得ず、これが法律上保護された利益であるということはできない。
⑥ したがって、原告らが、行政事件訴訟法36条にいう「当該処分の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者」であるとは認められない。
                  (便宜上、文章の頭にマル数字をつけた)

① ②は、当然といえば当然のこと。③は、あるいは異論があるかもしれない。
興味をもったのは、④である。「移設が実現するか否か」は、「代替施設が完成した段階」で、「日米政府間の交渉で決まる」もので、現段階で確定していると言い切ることはできず、「具体性に乏しい」と言っているものと考える。辺野古の新基地ができるのは、早くて10年、場合によっては20年かかると言われている。政治の世界で20年さきというのは、確かに「具体性に乏しい」ということは十分うなずける。別の言葉で言えば「現実性に乏しい」。そういう地点に立って、法律的に保護すべき利益が損なわれたとか、それゆえ損害賠償せよというのは、認められない、という裁判所の判断であろう。


代理人弁護士は、裁判所は、宜野湾市民が置かれている実態をよく知らないから、こういう判断をしていると強く批判していた。宜野湾市民が米軍基地にどれほど苦しめられているかを裁判長がよく認識しているかどうかはともかく、ここでは、辺野古新基地ができれば自動的に普天間「移設」も実現するというものではなく、「日米政府間の交渉で決まる」と言っていることが、正しいのかどうかである。埋め立て承認によってもたらされた「期待」にすぎない以上、法律に保護された利益とはいえないため、原告としての適格性を欠くと結論付けている。

そもそも「埋め立て承認」は、金と権力の脅しでゆがめられていったのではなかったか。いってみれば、「あぶく」。それに期待することは、冷たい言い方かもしれないが、健全ではない。
この裁判を支持する署名に2万人が応じたという。「普天間基地が無くなるならと署名したが、あとで辺野古新基地建設を前提としたものとしり、後悔している」という話も聞いた。こういう裁判を初めに提唱した人たちは、ずいぶんな罪作りをしたのだと思う。