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相模ダムと中国人強制連行関係資料(7)

資料6-2 『相模湖ダムの歴史 中間報告』(19777月)

佐々木氏の話

                          S:佐々木氏

                          K:記録する会

 

 

 S:えー、それ(マル募の朝鮮人)をねえ、ここの場合は各親方に渡さなかった。守衛とか色々そういうものをね、熊谷組が直轄的に管理していた。そして向うの現場へ何人、こっちの現場へ何人ちゅうんで引率者がその現場、現場へ分配してね、軍隊式にね。行ってやっていたようですね。

 K:中国のあれと同じような仕組ですね。

 S:そうです、そうです。あれと同じです。

 

 

 K:現場で中国の人たちと朝鮮の人たちがいっしょに接触したなんてことないですか。

 S:ありますけどね、あのー、喧嘩するんでなるべく一緒にしても、その間には必ず、その日本の、そのまあ、軍隊経験者がね、下士官になったような人をね、募集してきてね、そうした人たちにね、管理、それから指導まかしといたんです。うちの場合は骨材採集だけは沼本でやっておりました。だからうちの場合は同じ現場で、同じ職種に使わせなきゃあならんことがありましたね。まあ、よくトラブルとか、小さいけれどありましたね。

 

 

 K八路軍の人などがいて、日本は敗けると言っていたそうですが、そのルートなどはどうだったんですか。

 S:んー、政府でもらすわけじゃあないけどねえ。やっぱりああいうのは特別な彼等のあれがあったんじゃあないですか。毎月1回、日本におる、んー、当時、華人って言ってましたね。それの引率者と通訳を集めてね。まー、今、現場でいう連絡会議とかね、なんとか協議会とかいう、そういうものをーが、あったんですよ。まー、憲兵がそのあれしてたからねえ。その人たちの態度でわかるのかどうか、そらあ、知らないけれどもね。現実に、1月前にね。7月21日に松本に送ったんですね。ここにおったシナ人をね。そんときにやつら泣いてたのみましたよ。まー、日本に来て1番ここがいいんで、ここから行ったって日本は敗けるんだから、だからはっきりしてるんだから、それは、たのむから置いてくださいちゅってね。涙流してたのまれたのを覚えてますけれどもね。