西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(14)

 『西松安野友好基金和解事業報告書』には、会計報告もされている。中国国内で基金運営を疑問視した人が会計報告を公開するよう求めたが拒否されたと主張した報道がなされたことがあった。そのことは、これでクリアされたのであろう。

 第1回の補償金は、継承人がいない、継承人全員の所在が不明などの23人を除く248人に1人60万円の補償金が支給された。全員の消息を調査する作業も終わって、以後、新な被害者遺族が判明する可能性がほとんどないことから、14年1月には1人6000元(約10万円)が追加支給された。

 和解事業の一環として、生存者と被害者遺族が広島県を訪問(6回、のべ199人)、安野発電所の敷地内でおこなわれた追悼式にも参列している。この事業には20代、30代の若者も参加し、後世に語り継ぐ機会になったと関係者は強調している。

 

 安野発電所の敷地内には、「安野中国人受難之碑」が建つ。 

 ―― 一九四二年の閣議決定により約四万人の中国人を日本の各地に強制連行し苦役を強いた…安野発電所建設工事で三六〇人の中国人が苛酷な労役に従事させられ、原爆による被爆死も含め、二九人が異郷で生命を失った

 ―― 長期にわたる交渉と裁判を経て、二〇〇九年一〇月二三日に、三六〇人について和解が成立し、双方は新しい地歩を踏み出した

と刻まれる。

 

 張振侖さんは、「これは友好の記念碑でもあると思います。この友好が永遠に継続することを願っています」と告げた。