西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(10)

 西松建設はこの最高裁の付言に従って、2009年10月に安野の被害者と和解した。もう一つの日本国内での中国人を使役した信濃川事業所でも2010年4月に和解した。

 邵義誠さんが中国に帰国したとき、母は亡くなっていた。父も43年に行方不明になったまま。そして、邵さん自身も、体が回復するのに2年ほどかかった。「自分の家を手放し、薬代にあてました。それでようやく回復した」と話す。本人及び家族が強制連行によって被った被害はどれほど大きかったか、想像を超える。邵さんが、日本に強制連行されたことや中国に戻ってからの生活について家族に話すようになったのは、日本での裁判に原告として加わってから。「家も他人の手に渡り、みじめな生活だった」ので、触れたくなかったという。