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西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(8)

 ・終戦後の昭和20年8月24日,上告人は,政府機関から安野発電所事業場における中国人労働者の稼働停止の指示を受け,その稼働を停止させた。その後,中国人労働者らは,連合国軍の指示により中国に送還されることとなり,同年11月24日上記事業場から搬送され,同月29日長崎県南風崎から中国に送還された。当初の360人のうち,このときまでに,前述した移入途中の死亡者3人のほか,26人が死亡していた。なお,中国人労働者を受け入れた全事業場を通じて,移入者総数3万8935人のうち,送還時までに死亡した者は,6830人(17.5%)である。

 ・終戦後,中国人労働者を受け入れた土木建設業者の団体は,中国人労働者を受け入れたことに伴ってもろもろの損害が生じたと主張して,国に対して補償を求める陳情を繰り返し,国も,昭和21年3月ころ,その要望を一部受け入れる措置を講ずることとなった。これにより,上告人はそのころ92万円余りの補償金を取得した。

 ・本件被害者らは,家族らと日常生活を送っていたところを,仕事を世話してやるなどとだまされたり,突然強制的にトラックに乗せられたりして収容所に連行され,あるいは日本軍の捕虜となった後収容所に収容されるなどした後,上記のとおり,日本内地に移入させられ,安野発電所事業場で労働に従事したが,日本内地に渡航して上告人の下で稼働することを事前に知らされてこれを承諾したものではなく,上告人との間で雇用契約を締結したものでもない。

 ・本件被害者らのうち,被上告人X (移入当時16歳)は就労中トロッコの脱線1事故により両目を失明し,被上告人X (同18歳)は重篤なかいせんから寝たきり状態になり,いずれも稼働することができなくなり,昭和20年3月に中国に送還された。亡A(同23歳)及び亡B(同21~22歳)は,上記の大隊長撲殺事件の被疑者として収監中に原子爆弾の被害に遭い,Bは死亡し,Aは後遺障害を負った。亡C(同18~19歳)は,ある日,高熱のため仕事ができる状態ではなかったのに無理に仕事に就かされた上,働かないなどとして現場監督から暴行を受け,死亡した。