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西松安野の生存者・邵義誠さんを訪ねて(3)

中国人が働いた現場では、日本人監督の下で日本人や朝鮮人の現場監督が中国人を使った。朝鮮人は、削岩機で岩盤に穴を開ける、穴にダイナマイトを詰める、電気ドリルで壁面を平らにする、坑木を組むなどの技術や経験がいる仕事をした。中国人は、主に発破で崩れた石をトロッコに積み、石を満載したトロッコを押してトンネルの外に運んで捨てる重労働を行なった。トンネル工事は昼夜二交代で休みなく行なわれ、1日平均l.5m、多いときは2m掘り進んだ。

収容所は板張りのバラックで、冬は隙間風が吹き込み寒かった。寝具は新華院を出るときに支給され、自分で背負って来た布団と呼べない薄い布団が2枚だけ、また服も中国で支給された単衣だけしかなかった。冬になると、セメント袋を体に巻きつけ、雪の中を裸足で働いた。食糧は、質の悪いものが少ししか与えられなかった。いつも空腹だったので、野草を食べたり、水を飲んで腹の足しにした。病気やケガで働けなくなると、食事の回数や量が減らされた。病人は治療されず放置された。帰国までの約1 年間に、112人が負傷、269人が病気にかかり、29人(船中死亡3人、原爆死5人、殴打致死2 人を含む)が死亡した。